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桜の季節がやってきた。 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)を終了して9ヶ月経つが、千鳥ヶ淵の桜の蕾も膨らみ来週(3月25日ごろ)には開花しそうである。 今回は臨時増刊号として千代田区の桜をこよなく愛し12年間桜の話題を届けてきた「九段界隈桜みち」というタウン誌を紹介しよう。 この「九段界隈桜みち」は九段に本拠を置く國分生活研究所の國分紘子氏が編集発行人(発行12号はWAVE出版)となり平成8年3月に創刊されてから毎年桜が咲く3月になると千代田区の桜の話題を集めて発行されてきたものである。 まず巻頭の「桜の談話室」で千鳥ヶ淵の桜とゆかりのある著名人の談話が掲載され、そして千代田区内の桜の見所がイラストの地図で紹介されている。この桜の見所の地図はかなり詳細なもので、麹町界隈では5丁目にある仲良し広間の年末から1月にかけて咲くあまり知られていないフユザクラ(冬桜)まで紹介されている。 さらに「新堀さんと歩く・・」のシリーズは元千代田区役所土木課に勤務し千鳥ヶ淵の桜を植えた新堀栄一氏が界隈の桜を巡って歩くものであり、千代田区の桜巡りとしては氏による案内以上のものはないであろう。 そして、元飛島建設社員で千鳥ヶ淵の桜を撮り続けている片岡佳子氏の千鳥ヶ淵の桜の写真、その他、九段界隈・番町麹町界隈の町の話題、さらに市ヶ谷靖国通り、白山通りの商店街・飲食店の案内などこの地に生活の本拠を置くものの目線で紹介されている。 ここに「九段界隈桜みち」創刊から12号までの主な話題を一覧にしてみる。
これだけ見ただけでこの「九段界隈桜みち」の中身の濃さがご理解いただけるであろう。
千鳥ヶ淵の桜を語る上では避けて通れないアーネスト・サトウ(麹町ウぉーカー42号)と武田家の話題から櫻井ホテルではアーネスト・サトウが英国で亡くなるまで仕えた執事の本間三郎氏が帰国してからの様子なども紹介されている。
ところがこの「九段界隈桜みち」は残念ながら今回号をもって終刊することになった。
昨年末、國分生活研究所の國分紘子氏から、「最終号で麹町界隈を歩くという企画がある。麹町の情報として麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)のサイトがあることを知ったがそれが終了しているのが残念である・・」とのメールをいただいた。
麹町を離れた私が九段の隣の神楽坂にいたため、すぐにお会することとなった。
そして今年の1月に久しぶりに半蔵門から四ッ谷まで麹町ウぉーカー拘りのルートを國分氏と編集担当の菊池さんの3名で歩き楽しい一日を過ごすことができた。
なんと朝10時に半蔵門で集まり、千鳥ヶ淵公園から麹町消防署、金つばの一元屋、麹町小学校から裏通りをパテシェ・シマ、善国寺坂、麹町4丁目交差点、プリンス通、清水谷公園からホテルニューオオタニ、紀尾井坂、オリエントコーポレーション本社、心法寺、スクワール麹町、そして四ッ谷の駅で解散したのが3時半というとてつもなく中身の濃い取材になった。
そしてその取材の成果が編集担当の菊池さんの努力により最終号の「番町・麹町を歩く」として生かされている。
それにつけても麹町ウぉーカーとして毎年界隈の桜の写真を撮り、そしていろんな話題を取材しながら、この千代田区における一番の桜の情報誌を知らなかったことが誠に残念でならない。
また編集人の國分紘子氏はコピーライターが本業であるが、桜に関する話題のみでなく、豊富な人脈・知識・好奇心ともに驚くべきパワフルな方であった。
この「九段界隈桜みち」は終刊となるが、國分氏によると来年からは九段北にあるWAVE出版が発行元となって新たな企画で新生スタートするとの話である。
昨日(3月19日)、國分氏にお会いしたときに、「九段界隈桜みちを終える今の心持は(思い出を 残して脱ぎぬ 花ごろも)の心境ですか?」とお伺いしたところ、「そうね・・その通りね」と笑っておられた。
この句は私が始めて國分氏の事務所を訪ねたときに見せていただいた俳優の故木村功さんの奥様でエッセイストの木村梢さんの色紙に書かれていたものであった。
そして國分氏とのこの出会いにより、平成13年まで神楽坂にあった「ここは牛込神楽坂」という故立壁正子さんが発行しておられた素晴らしいタウン誌の存在を知り、麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)あとのサイト「神楽坂」を開始する大きなきっかけとなった。 そして2008年3月2日から掲載を始めた「神楽坂」のサイトも麹町ウぉーカーと同じコンセプトで少しずつ神楽坂界隈の町の歴史、話題を探し紹介していくのでお楽しみいただきたい。
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平成18年3月20 日
HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記
鹿児島県坊津町 Good Journey(よい旅を!) 神楽坂