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========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)No.111==========

これから桜の開花を迎える北海道から、メルマガ麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)111号をお届けします。

DVDの映画版ソフトの安価版が、あちこちで売られています。映画を観に行くのとそんなに変わらない価格なので、ついつい買ってしまいます。古い映画が多く、現代版映画のように大スペクタクル巨編はありませんが、ストーリーがしっかりしているので、なかなか観ごたえあります。最近オードリーヘップバーン主演の「暗くなるまで待って」を観ました。ほとんど自宅アパートが舞台でなのですが、これだけのセットで、こんなに面白い作品になるというのは、やはり脚本がすばらしいのと、監督・役者が素晴らしいのでしょう。画面が真っ暗になってしまうシーンは、何度観てもドキドキしてしまいます。一時間四十分の間、ずっと息を殺して見入ってしまいました。旧007シリーズを全部観ている私としては、監督が同じテレス・ヤングであることがとても嬉しいのですが・・・・・。

 

さて、映画といえば今日4月十六日は、20世紀最大の映画作家であり、また喜劇俳優のチャールズ・チャップリンが1889年にイギリスで生まれた日です。『モダン・タイムス』『ライムライト』・・・・。口ひげ、だぶだぶズボン、どた靴、ステッキ、山高帽。私のチャップリンのイメージです。名前だけで、イメージが湧いてくるのってすごいですよね。このイメージが強すぎて、私は素顔のチャップリンの写真や映像を目にしても、最初は解説がつくまでわかりませんでした。

このように、映画のイメージが強すぎた俳優は、スーパーマンを演じていた「クリストファ・リーヴ」などたくさんいます。日本映画では、座頭市の「勝新太郎」・フーテンの寅さん「渥美清」などがすぐに頭に浮かびますね。

 

ところで、映画やテレビドラマでよく知られている「半七捕物帖」。読者の皆さんは、どの俳優をイメージしますか。H氏はこの半七捕物帖の作者「岡本綺堂」にスポットを当てました。

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岡本綺堂 

昭和9年の麹町、元園町の地図岡本綺堂という名前をご存知だろうか。名前を聞いてピンと来ない方も「番町皿屋敷」やテレビドラマでお馴染みの「半七捕物帳」というとご存知であろう。明治8年から昭和の初期にかけて現在の東京メトロ半蔵門線半蔵門駅上の永井坂のそばに永く住んでいた有名な劇作家・小説家である。

かく言う麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)も綺堂という劇作家に関しては全く知識がなかったが「番町皿屋敷」を調べた時にその作者がこの綺堂であることを知ったのが始まりである。

四番町の千代田区立図書館の千代田区に関する書棚の中に「岡本綺堂日記」という分厚い本があるのが気になっていた。そして図書館の壁に貼ってあるこの界隈に住んだ文筆家の地図には、麹町2丁目の半蔵門駅前郵便局の並びの「麹町パレス」の路地を入った旧:元園町1丁目19番に4歳の明治8年から20歳の明治24年までそして明治24年から昭和7年まで、その路地を向いの旧:元園町1丁目27番地に住んでいたと紹介されている(ただこの点に関しては後に記載する綺堂日記には明治44年7月に旧宅を売却して元園町1丁目27番地に移ったとある)。 綺堂の自宅を「甲字楼」と称していたようである。

さらに、麹町ウぉーカー62号の「わがまち人物館」(62号)の展示でも、界隈に住んだ有名人として紹介されていた。

「岡本綺堂日誌」を一月かけて読み上げてみたが綺堂の生活と人となりが良く書かれた日記である。綺堂は17歳のときから日記をつけはじめたのであるが関東大震災でそれまで書いた35冊の日記が焼けてしまい、震災の中でやっと持ち出せた大正12年の日記から始まっている。そのため日記には綺堂自身によって書かれた年譜が付けられている。

綺堂は明治5年に岡本敬之助(維新後「純(きよし)」と改めた)、幾野(きの)との間に芝高輪泉岳寺の傍で生まれ、名を敬二といった。父は佐幕党で、新政府軍と宇都宮、白河で戦ったが傷を受けて江戸に戻り、潜んでいた。そして明治2年から英国公使館のジャパニーズライターとして雇われた。父敬之助は明治35年に死亡するまで英国公使館に勤めて、その葬儀の費用は英国公使館が出したという。アーネスト・サトウとも一緒に仕事をしているようである。

綺堂は英国大使館が現在の場所にできた明治8年に元園町に越してきて、11歳の明治15年に平河小学校に入学し、試験を受けて現在の5年生に進級している。そして13歳のときに東京府中学校(現日比谷高校)に入学しその夏休みに赤坂の溜池に泳ぎに行ったとある。

中学校を卒業する頃、「父親に連印問題が起こり岡本一家は早晩身代限りの処分を受けるべき運命に陥れリ。」と書かれている。「連印」とは今でいう連帯保証人のことで、「身代限り」とは江戸時代から我が国にあった現在で言う「破産」のことである。これが「数年後身代限りの悲運を免れ、一家初めて愁眉を開く。」とある。よほど深刻な問題だったと推測される。

19歳(明治23年)の時に自立するため東京日日新聞に入社し、その後いろんな新聞社を転々としながら劇作家として執筆活動を始めている。そしてこれから数年間、実家を出ている。明治28年には麹町で大火があったが、元園町の実家は類焼を免れ、綺堂はその年に実家に戻っている。そして日露戦争では従軍記者として大陸に渡る。

30歳になる明治34年ごろから戯曲を書き始め、40歳代になるともうすでに綺堂物と呼ばれる売れっ子の作家になっている。

この日記には毎日、起きてから寝るまでの綺堂の一日が天気、気温(華氏で書かれている)に至るまで詳細に書かれている。震災直後は麹町を離れて筆頭弟子の額田六福を頼り市外高田町大原1526番地(現:豊島区目白2丁目13番地の学習院前の目白小学校の裏あたり)に身を寄せる。NHKテレビ「刑事コロンボ」で「うちのかみさんがね。」という名文句を生んだ翻訳家「額田やえ子」氏は額田六福の娘である。

そして大正15年11月3日、旧居の元園町1丁目27番地に家を再築して戻るまで、麻布区宮村町10番地(現在の麻布十番辺り)、市外大久保百人町301番地、麹町区麹町1丁目1番地(現在の半蔵門の東條インペリアルパレス辺り)と借家を転々としている。

面白いことに大久保百人町に移った時の日記に「生まれて初めての郊外生活なり」と書かれており、当時は大久保は東京市外だったようである。

綺堂の生活は殆ど机の前に座って執筆活動で過ごしているが、お風呂が好きで殆ど毎日銭湯に出かけている。そして夕方になると四谷あたりまで散歩に出かけている。震災で麻布の借家住まいをしているときも、夜になると妻や女中が舞台を見に出かけており、大正時代の人々が風流な楽しみの様子が伺える。

それにしても病気持ちで歯痛にインフルエンザ、感冒、中耳炎等などあらゆる病気に罹っている。

震災直後の正月の日記には妻と女中が怪我もせず生き延びられたことに感謝すると共に、一家の主として頑張って家族に対して幸せを分かちあうのが一家の主の責任であると書いているくだりは、綺堂の明治の男としての有り様が良く現れている。

又この綺堂の姿勢は門下の弟子たちに対してもとても思いやりの深さがうかがえる。

綺堂は自宅に書生を受け入れ、多くの門下生を抱えていた。そして綺堂の弟子たちは嫩(ふたば)会と称して、毎月1回、元園町の綺堂宅にて会合していた。会費を徴収していたようであるが、毎月の会合の席の会食は綺堂が提供していたようである。そして、弟子とその家族との付き合いも細やかで、弟子の死に遭遇して涙している綺堂の優しさが良く表れている。

そして綺堂は昭和7年4月に上目黒1丁目113番地の別宅完成して移り住むことになる。この場所は西郷隆盛の弟西郷従道邸跡地で西郷山と呼ばれた分譲地でここに移り住んでから綺堂の別号「甲字楼」から「西郷山房」に変えている。

岡本綺堂に有名な「番町皿屋敷」と「半七捕物帳」について少し面白い話を紹介しよう。

その日記の前に彼の生まれてからの年譜がつけられていた。

テレビドラマでおなじみの「半七捕物帳」も綺堂が大正6年から昭和11年まで連載(68作)されたものである。テレビでは二枚目の大物の俳優が演じる岡っ引(おかっぴき)の半七親分が江戸の難事件を解決するものとして描かれている。この物語は江戸の末期に岡っ引として多くの事件にかかわった半七老人を新聞記者が訪ねて、茶飲み話に手柄話や失敗談を聞きだすという構成になっている。この半七捕物帳が我が国最初の捕物帳であり、時代小説、探偵小説草創期の傑作であり、特に江戸文化の時代考証が優れた作品であるといわれている。

ところがこれには多少問題がある点も有るようである、このようなテレビではヒーローとして描かれる岡っ引は町奉行所や火付け盗賊あらためという警察組織の末端の協力者で、公式には十手(じって)を持つことは許されていなかったらしい。

「岡っ引」、「御用聞き(ごようきき)」は江戸での名称で江戸の周辺の関八州では「目明かし」、上方(関西)では「手先」、または「口問」いと呼ばれていた。

それにこの岡っ引などは奉行所の与力、同心等の武士では取りにくい町の末端の情報を取るために、軽微な犯罪を犯した者を赦免と引き換えにそれらの犯罪集団の情報提供をするものとして働くようになったことに始まり、裏社会の情報に通じた親分と呼ばれる町や村の顔役に委託され、それから博徒、テキヤの親分が岡っ引等になることが多なったといわれる。このことから「二足のわらじ」という言葉が生じた。

それに岡本綺堂の「番町皿屋敷」は「播州皿屋敷」のような怪談ではなく恋愛物語である。

「播州皿屋敷」は姫路市の十二所神社に伝わる話が原型で「姫路城主赤松家の家臣1505年(永正2年)、城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てたが、これを青山家の下女お菊が密告する。しかし、鉄山は一時主家乗っ取りに成功し、宝物の皿のうち一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、責め殺したあげく古井戸に沈めた。その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえるようになった。しかし青山鉄山はやがて小寺の家臣によって討たれ、お菊は十二所神社に「お菊大明神」として祀られた。」という物語である。

これに対して岡本綺堂の「番町皿屋敷」は「番町に屋敷を構える旗本青山播磨と腰元のお菊は相思相愛の仲であった。しかし身分の違いからその願いは叶わない。やがて青山播磨に縁談が持ち上がり、お菊は青山播磨の愛情を試そうと青山家の家宝の皿を一枚割るが、播磨はお菊を不問に付す。ところが周りの者が、お菊がわざと皿を割った瞬間を目撃していた。これを知った播磨は、自分がそんなに信じられないのかと激怒し、お菊を斬ってしまう。そして青山播磨の心が荒れるのに合わせるかのように、青山家の家運もまた荒れ果ててゆく。」という恋愛話である。

そのほか上方落語は「播州皿屋敷」、江戸落語では「番町皿屋敷」ではお化けのお菊がサービス精神精神のパフォーマンスをおこなう。「お菊が皿を9枚まで数えたところで「一枚足りない……」と言うのを聞いてしまうと祟りに遭うという噺。しかしそのお菊が絶世の美女だというので、暇な男達が連れ立って見物に出かけた。しかし祟り殺されてはかなわないので8枚まで聞いたところで逃げてくる。それが評判になり、やがて皿屋敷は連夜沢山の見物人が押しかける。当のお菊は評判に気を良くしてパフォーマンスをするようになる。ついには雑踏で思うように逃げられずにいた男たちが、「9枚」と言う声を聞いてしまった。ところがなぜかお菊はそのまま続けて「10枚11枚…」、ついに「18枚・・おしまい」。

岡本綺堂

「お菊さん、なんでそんなに沢山皿を数えたんで?」

「こう毎晩出ずっぱりじゃかなわない。明日はお休み」という落ち。

 

最後に余談であるが、「岡本綺堂日記」にある綺堂の写真は麹町ウぉーカーの編集長(大)に瓜二つである。編集長(大)を知る人たちに見せると全ての人が「何故 (大)さんの写真が・・」という反応を示すほどそっくりである(しかし、本人はこの原稿を見てビックリしていました。あしからず)。この本を見つけたときに一番驚いたのはこれを書いている麹町遊歩人自身である。

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そして、似ていると突然言われて最も驚いているのは、編集担当自身です。

さて、編集担当が北海道へ渡ってから2年余が経ちました。そろそろ北海道のいい所(店)も少しずつ紹介しようと思います。

もうブームの絶頂は過ぎたのでしょうか?「ジンギスカン」の美味しいお店です。

『味のジンギスカン ふくろう亭』

(札幌市中央区南8条西5丁目 キャピタルYMD 1階)

地下鉄南北線「中島公園駅」下車、徒歩約10分ほどのススキノの奥まった所に、「ジンギスカン」とかかれた赤提灯が目に入ります。ここが「味のジンギスカン ふくろう亭」です。白地に「ふくろう亭」と書かれた暖簾をくぐって店へ入ると、中は明るくテーブルが綺麗に並んでいて、ちょっと驚きです。でも、テーブルの上には七輪が・・・・・。

ご主人と奥さん。そして息子さんの三人で切り盛りしているお店です。そして、メニューはジンギスカンのみ。肉は、1頭から1kgしか取れない肩ロースを使用しているそうです。生ラム肉ジンギスカンは¥700で、野菜は付いていません。野菜は別注文で¥300。薬味は、一味とにんにく。タレは醤油ベースのオリジナルでスパイスが効いています。塩こしょうもおいてありますよ。

注文してから、ご主人が肉のブロックを冷蔵庫から出して切ってくれます。これが嬉しい!!柔らかく、臭みも少ない肉なので、ラムが苦手という人にもお勧めです。タレもおいしいですが塩こしょうで食べるのも美味。私はいつも生ビールを飲みながらいただくのですが、ここはジンギスカンをおかずに食事に来る方も結構います。昨年の暮れ、私の友人が肉と大盛りご飯をお代わりしていました。

メニューはジンギスカンのみですが、ラムのタンもあります。これを塩コショウでいただくと、また美味なんです。

食べる前に、臭いがつかない様にスーツの上着などはビニールを掛けてくれますが、食べ終えてから二次会へ行くときは注意が必要です。相当臭いがついています。タクシーに乗るとジンギスカン食べてきたことがすぐにばれてしまいますよ。

「ラーメン」「スープカレー」など、札幌から沢山のグルメ情報が発信されていますが、編集担当の今の一押し情報をお送りしました。

 

さて、H氏のHPで「岡本綺堂」・・・・・・私に似ている写真をご覧ください。

http://homer.pro.tok2.com/

 

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http://www.mag2.com/m/0000073086.htm

(大)

平成18年4月16日配信


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