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==========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)NO.103========

朝晩めっきり冷え込んできた北海道から、麹町ウぉーカー103号をお届けします。

「電車男」ってご存知ですか?22日で最終回を迎えたフジテレビのドラマです。放送時間帯も良かったのか、ついつい観てしまいました。内容は別にして気になったのは、出演者のキィーボードを打つ演技がわざとらしかったことです。本当の話を元にしたフィクションとのことですが、うそ臭くて興醒めしてしまいました。

ところで、キィーボードで入力していて、変換ミスにあっと驚いたことありませんか?

メールを受信していて気がつくことのほうが多いでしょうか。

日本漢字能力検定会では、この変換ミスのコンテストを開催しています。

題して「漢検“変換ミス”コンテスト」

今年の一位は「今年から海外に住み始めました」⇒「今年から貝が胃に棲み始めました」だそうです。ちなみに他にエントリーされた作品を紹介しましょう。

「助走はできるだけ速く」→「女装はできるだけ早く」

『「同棲しよう!」…でも言えなかった』→『「同棲しよう!」…でも家なかった』

「誰か、ビデオとっているやついないか!?」→「誰か、美で劣っている奴いないか!?」

ほとんどが笑える作品ばかりです。

他にも「正解はお金です」→「政界はお金です」、「規制中で渋滞だ」→「寄生虫で重体だ」、「地区陸上大会」→「チクリ苦情大会」といった変換ミスが上位に並んだそうです。

「返還」ミスをコンテストにしているのは、他の国でもあるのでしょうか。日本語だけの面白いところかもしれませんね。

さて、今回はH氏による麹町界隈の坂シリーズの最終回です。9月も最終週を迎え、タウンウォーキングに持って来いの季節到来です。

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番町界隈の坂

永井坂  map

永井坂この坂は麹町1丁目から靖国方面に下る坂で、坂下の一番町交差点から袖摺坂の登りにつながる、この界隈では一番長い坂である。

そして一番町交差点は番町界隈の中では一番深い谷筋で、左折すると麹町4丁目の善国寺坂の下と合流する。さらに右折すると英国大使館の脇の代官町通りとの交差点に出る。

この坂の地下には、東京メトロ地下鉄半蔵門線が走っている。

嘉永四年(1851年)の「東都番町大絵図」という切絵図をみると、「永井勘九郎」、「永井奥之助」という旗本の屋敷が、道をはさんでちょうど向かい合っているようにみえる。

 

麹町大通から、坂の左側を下って行くと40号で紹介したクッキーの「ローザ」がある。

JOMOのスタンドのある交差点を渡ると、お洒落な惣菜販売の「旬菜楽市」、「郵便局」、「ステーキタコスTEXAS」そして「カレーのインダス」があり、「酒の萬屋商店」がある。その路地を左折すると「我が町人物館」がある。

さらに下ると東京金融先物取引所のある「一番町東急ビル」そして「Stand DelBon Bonne」のある番町交差点に至る。

今度は、麹町大通から坂の右側を下ってみよう。中華の「興楽飯店」、「TULLYS CAFFE」、そして最初の角に「金つばの一元屋」がある。

信号機を渡ると「花幸」、お洒落な「CAFE Kingston」、「キッチン ジロー」、「OZENNYA」、「CAFE三覧苑」。そしていつもお客で賑わっているパンとケーキの「シェ・リュイの店 ハナコウジ」がある。

ハナコウジのある路地を英国太子館方面に入るとダイヤモンドホテルがあるが、本館は現在取り壊されて工事中である(平成17年)が中華の金剛飯店等は営業している。

金剛飯店の月曜日のランチは半額でありお勧めである。

そして路地を下ると地下鉄の入り口のある「ダイヤモンドパレス」、「全国町村議員会館」がある。町村議員会館下石を左折すると、英国大使館の裏に「カメラ博物館」や「宝島社」、「村上開新堂」がある。この地が麹町ウぉーカー93号で紹介した津田塾大学創立の地である。さらに坂を下ると「おでんの鳥笑」、「小料理五味」があり「スタンドそばの茹で太郎があり一番町交差点に戻ることが出来る。

 

袖摺坂 map

永井坂のいちばん下の一番町交差点から靖国神社方面に一番町4番地と6番地の間を登り返す坂が「袖摺坂」である。袖摺坂

むかし、この坂道は行きあう人の袖と袖がふれあうほどでせまいのでその名がついたといわれている。

一番町交叉点の角に猫のグッズを集めた「猫舎道楽堂本舗」があり、その隣の八百屋の向かいにある電柱には、季節になると大きな葡萄がたわわに実る。

そして坂の中ほどに、老舗の「相模屋」という酒屋がある(麹町ウぉーカー85号)。

振袖坂を登った次の路地の左角に滝廉太郎の住んでいた場所の碑が立っている(麹町ウぉーカー6号)。

この角を右折して下る坂が次の五味坂である。

 

五味坂五味坂 map

番町中央通から内掘通りの御苑入り口交差点に出る坂である。

この坂の名前の由来に関しては諸説あり、掲示板によると「ごみ」という名前から「芥坂」や「埃坂」の字をあてたり、その意味から「はきだめ坂」と呼んだり、さらに近くにあったという寺院の名から「光感寺坂」・「光威寺坂」と呼ばれ、さらに「光感寺坂」がなまって「甲賀坂」とも呼ばれている。「麹町区史」には「由来は詳らかでないが、光感寺が元とすれば甲賀は光感の転化らしく、ごみは埃ではなく五二が転化したものではないか」という説明がある。

この「五二が転化した」という下りは少し分かりにくいが、昭和13年に区画整理が実施されるまでは、坂の辺りは「五番町」で坂を登ると「上二番町」であり二つの町を結ぶ坂として「五二坂」と名前がつき、「五味坂」に変わったのではないかと言う意味である。

ちなみにこのあたりの旧名「五番町」と「上二番町」は現在では「一番町」に含まれている。

 

御厩谷坂(おんまやだにざか) map

三番町の大妻大学前の交差点から南北に上がり下がりする坂である。御厩谷坂

この坂の名前の由来であるが、「新撰東京名所図会」には「一番町と上六番町との間、すなわち井伊家邸前より南の方に係れり。厩谷もと御厩谷という。むかし徳川家の厩舎ありしに因り此名あり」と記されている。(千代田区教育委員会の説明標識による)

また、「新編江戸志に今も紅梅勘左衛門殿やしきに御馬の足洗いし池残りてあるなりというと見えたり」とも書かれている。資料によっては徳川将軍家の厩舎があったというものもあるが、いずれにしても厩があったのであろう。

この坂の両脇には大妻大学があり、麹町ウぉーカー41号で紹介した「佐野の桜」はこの辺りにあった。

そしてこの坂を上った角に麹町ウぉーカー31号で紹介した塙保己一の屋敷があった場所で案内板が立っている。塙保己一の屋敷は明治時代まで残っており、「目で見る千代田区の歴史」(1993年版 千田区教育委員会発行)のなかにも写真が紹介されている。

 

南法眼寺坂 map

永井坂の谷側が一番町交差点であるが、その交差点を麹町方向に左折するとすぐにAM/PMがあり、向かいに「蕎麦の丸屋」がある。その前の坂が「南法眼寺坂」である。

法眼とは僧の階級の一つであり、また江戸時代、医師、絵師、連歌師などに授けた称号のことで、斎藤法眼という人の屋敷が、この坂のきわにあったことからこの名があるといわれる。

この坂を上ると右角に立派な土蔵を備えた王子製紙の王友寮がある。

坂を上りきった東西の筋が、二番町の日テレから五味坂を経由して内掘通りの出る「番町中央通」である。望郷のタロー像

この界隈は東京でも最高級の住宅街である。ここを左折して日テレ側に入った場所には、ひときは大きな屋敷があり、その隣はとても深い木々に覆われている。ここにはとても実をつけるヤマモモの木があり、梅雨時になるとドドメ色の実を落としている。その先に「いきいき一番館」がある。

この南法眼寺坂を上った場所から次に紹介する行人坂との間の中央辺りの左側にカフェテラス(ラフォーレ)のあるセントラルビルディングがあるが、ここが麹町ウぉーカー29号で紹介した南極物語の「望郷のタロー」の像がある。尚この建物の1階にフジテレビの「ジャッジ」でおなじみのダンディーな弁護士I所長の一番町綜合法律事務所がある。

 

行人坂 map

南法眼寺坂を上ってきて番町で一番高い尾根筋の一区画を過ぎると急な下り坂になる。行人坂

この坂を「行人坂」という。

「東京名所図会」には「行人坂、上六番町と中六番町との間を南の方へ上る坂を称す」と

かかれている。

「御府内備考」に行人坂、古某法印と称する行人この辺に居するゆえにこの名あり。また法印坂とも呼び或は転化して法眼坂という。

もともと法眼坂を起伏により東郷坂、行人坂、南法眼坂と三つの名に分けてよんだものであり、法眼坂の名称だけの地図も多いようである。

行人坂を下る上の通りを左折して日テレ方面へ歩くと「衆議院事務総長公邸」が有り、その先に「女子学院」と「千代田女学園」がある。反対に右折するとすぐに「欧州委員会代表部」があり、そのとなりに「ローマ法王庁大使館」がある。

行人坂を下りきった図書館(歴史民族史料館)の隣には八百屋があり、その向かいにJOMOのガソリンスタンドがある。交差点を右に曲がると九段小学校があり、左に上ると関東財務局四番町住宅の土手にテキーラ−の原料となる「リュウゼツラン」が沢山生えている。

 

東郷坂 map

行人坂を下り八百屋とガソリンスタンドの間の坂を市ヶ谷方面に上る坂が「東郷坂」である。坂の右側はプールになっており、公園をはさんで向かいが九段小学校である。

「東洋のネルソン」と賞賛された東郷平八郎元帥の屋敷の西側にあるこの坂は、明治38年(1905年10月)、当時の麹町区会の議決により命名された。

東郷公園のライオンの像東郷元帥記念公園は、東郷平八郎元帥邸跡が区に寄贈されてもので、公園として区民に親しまれており、桜の名所である。

この坂を上りきった東西の筋は「ニ七通り」で、東郷公園から九段方向に数メートルの場所に「二七不動尊」がある。「二七不動尊」は残念ながら平成17年春の火災により全焼してしまった。

ところで隣にある九段小学校は明治時代から昭和の始めにかけて上六尋常小学校と呼ばれていたが昭和95年5月30日の東郷元帥の死去に伴い昭和9年7月31日から昭和16年3月31日までは東郷尋常小学校、昭和16年4月1日から昭和21年3月31日までは東郷国民学校と呼ばれた時期がある。

 

最後に渋谷にある東郷神社の由来について(渋谷区神宮前1-5-3) map

東京都渋谷区渋谷は東郷元帥の祖先の地といわれています。遡ること12世紀、今の渋谷一帯は相模国の豪族・渋谷氏が所領していた。ゆえに渋谷と呼ばれるようになったと伝えられる。ところがこの渋谷氏は、源頼朝が鎌倉幕府を開いたのち、源平合戦での功により、はるか薩摩の地に領地を得て、一族を挙げて、現在の鹿児島県川内市あたりに移住する。

薩摩に根付いた渋谷氏は、5つの家に分かれ渋谷五族となる。土地の名をとって、それぞれ高城氏、東郷氏、入来院氏、祁答院氏、鶴田氏を名乗った。このうちの東郷氏から700年後に出たのが、東郷平八郎なのである。そこで渋谷は東郷元帥のルーツの地であり、没後、祖先の地に神社が建てられたのである。
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東郷坂〜東郷元帥〜薩摩〜渋谷と繋がって、坂シリーズが終了しました。国道246号も麹町〜渋谷と繋がっていますね。余談でした・・・・・。

さてH氏のHPでは、トレッキングのサイトが次々と更新されています。

http://homer.pro.tok2.com/index.htm

 

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(大)

平成17年9月18日配信


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