戻る  甲府勤番風流日誌(第三巻)(山梨の名物編)

中央高速道路釈迦堂パーキングエリア(釈迦堂遺跡群)

中央高速道路を首都圏方面から甲府盆地に入り、まず勝沼インターを過ぎると、甲府盆地を一望できる釈迦堂パーキングエリアがある。4月上旬には、眼下の甲府盆地に桃畑が一面絨毯のよう釈迦堂博物館に広がり、桃源郷の気分を満喫できる。

山梨に住んでいた当時このPAを使ったことはなく、山梨を離れて年に数回を訪ねるようになってこのPAの素晴らしさを発見した場所である。

それはここの景色の素晴らしさではなくこのパーキングエリアの地下にある遺跡である。実はこの釈迦堂パーキングエリアの下にはわが国最大規模の縄文時代を代表する釈迦堂遺跡がある場所なのである。

釈迦堂遺跡群は昭和55年2月8日から翌56年11月15日まで、中央自動車道建設に先立って、発掘調査された。その結果先土器時代、縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代の住居や墓、及び多量の土器、石器などが発見された。

特に縄文時代のものは豊富で、1,116個体の土偶が出土している。これは全国のほぼ1割を占める数である。このうち前期(6,100〜4,800年前)のものが7体、後期(3,800年前)のものが1体、他はすべて中期(4,800〜4,050年前)の物である。釈迦堂辺りでは、約2500年前に255軒の竪穴住居跡があったという。発掘時の写真を見ると住居が密集しており、その集落の規模の大きさに驚かされる。

この中央高速道路「釈迦堂下り線PA」から北側へ石段を登っていくと、2分程で「釈迦堂遺跡博物館」に入ることができる。このパーキングエリアの辺りは勝沼町と一宮町が複雑に入り組んだ境界をしており場所で勝沼町と一宮両町は共同で「釈迦堂遺跡博物館組合」を作ったもので、博物館の脇には庭園が造られ、裏手には縄文時代の復元住宅も建てられている。


館内に入って驚かされることはその遺跡の規模の大きさとともに縄文人が土、石、骨、魚、貝などを使って作った土器、狩猟具の弓矢、土掘り道具の打製石斧、伐採加工具の磨製石斧など精緻さには驚かされる。更に土器のデザインの美しさは言葉を失うほどである。

そして何より土偶の多さと表情の豊かさにびっくりさせられる。国内に出土した土偶の一割がここから出たといわれる。どれも丸い顔に丸い口、そして丸い目まるで小さな子供のように見えてくる。よく見るとお母さんお顔であったり、太い眉が垂れ下がった翁だったり、兜をかぶった兵士であったりする。

そのお顔を見ただけで何故か心が洗われ、優しくなれるような気がする。甲府勤番風流日誌第1巻「木喰上人」で紹介している下部町にある「木喰の里微笑館」を訪れて、木喰上人が自らを彫ったとされる仏像がまん丸の顔に太い丸い眉毛、細い垂れ下がった目の、微笑み念仏の仏像の像を見たときと同じ気持ちになった。

甲斐国の先人たちは豊かなこの土地で豊かな自然とともに、豊かな笑顔にあふれた心豊かな生活を送っていたことが想像される。

この場所からは富士山は背後にある御坂の山越で見えないが、正面には金峰山に瑞牆山、そして、南アルプス、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳、八ヶ岳など甲斐の山々を見ることができる。古代の人々もこれらの山々を見ながら四季の移り変わりの中で生きたのだと思うと何故か嬉しくなる。

この「釈迦堂遺跡博物館」は桃の季節やぶどう狩りやワイナリー巡り等で山梨に来たらぜひ訪ねていただきたい場所のひとつである。中央高速道路のパーキングエリアからは下り線でしか利用できないが、国道20号線勝沼町下岩崎の交差点を山側に5分も走るとそこにある。

勝沼町岩崎地区は山梨名物のぶどう園やワイナリーの多いところでありは、山梨を観光で訪れたら殆どの方がこの遺跡の近くまで来ているのである。

ぜひブドウや桃、そしてワインをお土産として買ったあとは、ここを訪れて先人たちの微笑みに巡り合い、豊かな気持ちになって山梨の思い出として欲しい。

2004.5.15日掲載

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