戻る   甲府勤番風流日誌(第三巻)(山梨の名物編)

 

山梨の宝石

山梨に観光に来ると河口湖や甲府市内などいたるところに宝石や貴金属に関するショップや博物館を目にする。さらに新作の発表会や宝石フエアーが盛大に開かれている。

ここ山梨は昔から「甲斐の水晶」といわれ、現在では全国の宝石(ジュエリー)の三分の一を産する一台生産地である。正確には研磨宝飾産業というべきであろう。

その起こりは名勝御岳昇仙峡の最奥金峰山で1575年に水晶が発見され、水晶を買いに来た京都の玉屋の番頭弥助から金桜神社の神官が研磨技術を学んだのが始まりであるといわれる。やがて、水晶細工の中心は、御岳から甲府に移り、甲斐の国は、加工工芸の中心として発達した。明治期には宝石と貴金属加工の技術が結びついて指輪が登場し、現在のようなジュエリー山梨の基礎を作った。

戦前・戦中はその技術を生かした軍事用の無線機のクリスタル発信機を作っていたともいう話も聞いた。

現在では昇仙峡の水晶も枯渇して甲州水晶を産する事はなくなったが、永い歴史に裏付けられた技術産業を背景にブラジル、タイなどから原石を輸入し加工、研磨して日本中の三分の一のジュエリーを生産する産地になったのである。

甲府市川田町の工業団地「アリア(正式名称:協同組合ファッションシティ甲府(アリア・ディ・フィレンツェ))には山梨を代表する叶ホ友、白金工房などのジュエリーメーカーの工場やその他異業種の山梨県を代表する企業の立派な展示スペースがあり、県外からの観光客のバスで賑わっている。

このような歴史ある地場産業である宝飾産業を背景に山梨県には全国で唯一の「県立宝石美術専門学校」が甲府市の正面、富士が正面に見える愛宕山の山腹にある。この学校は、山梨県の伝統的な地場産業であるジュエリー産業の振興を図るため、高等教育に準じた教育課程により宝石学、宝飾美術を習得する日本で唯一の公立専門学校として昭和56年4月に開校したもので、宝石の山梨県を象徴する施設である。

過去水晶を掘っていた乙女高原などにはマニアの訪れては、坑道の近くのズリ(水晶を採掘する為に坑道を掘った跡の残りの土)の中から小さな水晶原石を拾って楽しんでいる。私の友人も埼玉から乙女高原に水晶を掘りに行っており掘ってきて磨いた水晶を頂いたことがある。泥まみれになるが、宝探しのようで、綺麗な水晶が出たときなどはとても嬉しく、とても楽しいとのことである。

 

2004.5.15掲載

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