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信玄公旗掛松事件

新府駅を過ぎて長坂町に入るとすぐに日野春駅がある。ここは国蝶「オオムラサキ」が多く生息することで有名な町であり、実際、季節になると車窓からオオムラサキを見ることができる場合もある(私は二度遭遇している)。

この駅との出会いは2000年6月、小淵沢町からの帰りに県道17号線(通称七里岩ライン)を甲府に向かっていたときのことである。なぜか通り過ぎた駅の名前が気に係り、数百メートル走ったところでUターンして駅まで戻った。その駅の名はJR中央線「日野春駅」、特段変わったところもない田舎の小さな駅である。車を降りて腕組みしながら「何か気になるなあ」と駅の名前を見つめていると遠いかすかな記憶の中から25年前の青春時代の思い出が鮮明によみがえって来た。

そう、ここは法律の世界では「信玄公旗掛け松事件」として知られる有名な判例(裁判例)の現場だったのである。

1904(明治34)年中央線日野春駅は開業した。駅のそばに立っていた信玄公が旗を掛けたと伝えられていた老松が、機関車のばい煙で枯れてしまった。それを線路のそばに住んでいた清水さんとい方が国を相手にして損害賠償の裁判を起こした。甲府地方裁判所のみでなく大審院(タイシンイン 現在の最高裁判所)でも認められた。

要約すると「松が枯れたのは鉄道のばい煙と震動によるものと認められるとともに鉄道院はガスよけを作って予防できたのにそれをしなかった過失がある。」というものである。

大学に入り民法を勉強して最初に調べた判例がこれであった。今の常識からすれば当然の判決であるが、「国家権力(お上というべきか)は悪をなさず」といわれていた明治時代においては個人が国を訴えそして勝訴を勝ち取るなどということは考えられないことであった。

この裁判は「権利の濫用の法理」を認めた上で権利の濫用が不法行為として損害賠償の対象となるということを認めた我が国で最初の公害裁判ということになる。

このような有名な判例の現場がこの山梨県の中にあるということは知らなかった。若い駅員に尋ねると知らなかったが、駅長がニコニコしながら「そうですよ」と資料を持ってきてくれた。「法律を勉強していたという人がよく訪ねてきますよ。」、「原告の子孫が近くに住んでいます。」と教えてくれた。駅舎の外には「信玄公旗掛松事件」の記念碑が大きな木の間にひっそりと建っていた。


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