戻る  甲府勤番風流日誌

県立文学館

ここは何処の文学館でもそうなのであるが、難解であり、概して一般的ではない。

文学館は山梨県の出身者またはゆかりの文学者を紹介しているのであるからあらゆるジャンルに及んでいる。ゆかりの文学者をも紹介する故に、論理学で教える「外延が広くなれば、内包は希薄になる。」の命題の通り、個人の理解できる、あるいは心地よいと思う文学の範囲をはるかに超えてしまう。有名な小説家の直筆原稿を見ることは愛好者にとっては何にも変えがたい価値のあるものであろうが、有名であるとはいえ知識あるいは趣味からはるか遠い存在である小説家あるいは文士の達筆な草稿を読むのは骨が折れる。ここは、一般的にはなかなか難解であることは事実である。

ただ少しだけ、比較的分かり易い山梨県関係の文筆家、俳人を紹介するならばまず太宰治であろうか。太宰治は昭和13年、甲府盆地と河口湖を隔てる御坂峠の「天下茶屋」に滞在して小説「火の鳥」を執筆していた。その前年、薬物中毒や自殺未遂で小説を書けなくなっていた太宰はここで再起をかけて執筆活動に取り組み、この間に甲府市の石原美智子と結婚するのである。太宰はここでの石原美智子との出会い、その支えにより復活していく。とはいうもののそれから10年も経たず、玉川上水に入水自殺するのはご存知のとおりである。

ちなみにここで執筆した「富獄百景」の「富士には月見草が似合う」という名文句の文学碑が天下茶屋の前に建っている。

ここでは特に芥川竜之介、飯田蛇笏を特別に展示している。飯田蛇笏については第1篇で甲府盆地の南にある境川村の出身で、家の裏山に郷土の先人山口素堂の「目に青葉山ホトトギス初がつお」の句碑を建てていると紹介した。

飯田蛇笏については、とりあえずよく知られている私の好きな三句紹介しておく。

芋の露連山影を正しうす

八代町から南アルプス、甲斐駒ケ岳を見るとつい口をついて出る。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり

盆地特有の酷暑を夏を過ぎてすこし涼しくなった初秋の風情が目に浮かぶ。

冬瀧のきけば相つぐこだまかな

秩父に向かう雁坂峠の下、凍てついた西沢渓谷はまさにこの光景である。

山梨には高さはないが風情のある見事な滝が多い。

山梨に赴任してきて飯田蛇笏の俳句に触れ、俳句にはじめて正面から向かい合ったとき、会津若松時代に読んだ松尾芭蕉の紀行文「笈の小文」の書き出しを思い出した。そこにはこのようにある。

西行の和歌における、宗祗の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とする。
    ☆「造化」とは自然を意味する。

要するに「これらの先達が築いた芸の道は自然の世界を感じ取る生き様である。そして、風雅の極みは自然とともに生き愛すること」という意味か。私はこのレポートの中にたびたび書いている「風雅」をこのように理解している。飯田蛇笏のこれらの俳句はこの甲州の美しい自然と四季の移ろいを見事に切り取ったものであると思っている。

このことについては県立文学館の「資料と研究第6輯」に鶴見大学教授山下一海先生が飯田蛇笏と高浜虚子の関係から芭蕉に共鳴していく過程にふれ、「蛇笏の虚子尊重の念に偽りはなかったが、その師系の下に逼塞することなく、芭蕉に到達し、芭蕉と一体化することによっておのずから自由を得て芭蕉を離脱することができた。」という論文を見つけた。

私はこの論文を見て内心微笑んだ。俳句について素人の私が山梨の生んだ近代俳句の巨星飯田蛇笏について感じたことはあながち間違いではなかったのである。

ただ、この「資料と研究第6輯」の「輯(シュウ)」の字はなんともいただけない。「集める」という意味であるが普通の人はまず読めないであろう。専門家の世界ではそのようなものなのかもしれないが、文学というものをますます一般人から遠い世界のものにしてしまっているようでならない気がする。この文学館に最初に感じたことがこのような刊行物の発行姿勢にも現れていると思うのだが間違いであろうか。

ここは桜の季節に行くのも良いが、晩秋の銀杏が舞い散り始めるころに行くことを勧める。美術館、文学館の庭は四季折々を楽しめるようになっているが、なんといっても駐車場の銀杏の並木の紅葉は見事である。この施設を作ったときに植えたものなのであろうが、月日を経ることにより落ち着きをまし、曇りの日などは日本であることを忘れさせてくれる。そして、この銀杏の黄色い絨毯を踏みしめながら美術館に入っていく情景は間違いなく大人の旅の風情を演出してくれる。従って大人の装いのお洒落をしていかれることをお勧めする。奥様とあるいはご主人と手を組みながらであればなお良いのではないかとおもう。


HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町