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木喰(モクジキ)の里 微笑館

ここは私が初めて身延町にある身延山久遠寺を訪ね、287段の階段を上り、奥の院にケーブルで登ったあと国道300号線を本栖湖を目指して走る途中で道路の左側にある「木喰の里微笑館」という小さな標識を目にしたのがはじめての出会いである。そして峠を越え、トンネルを抜け本栖湖に出た時、雲ひとつない晩秋の澄み切った青空を背景に5000円札の絵にある富士山が突然現れて声を失ったことを覚えている。

その感動のあまり木喰という言葉自体忘れていたが、県立図書館で木喰仏に関する写真集を見たときからぜひ訪ねてみたいと思うようになった。なぜか素朴ながら妙に親しみのある微笑が気になったのである。また、この木喰の里がある下部町波高島(ハダカジマ)に住む私の会社の社員が私が木喰様の顔にそっくりだというのである。

ここは下部町北川の深い山の中腹の山中にある。山中というがなかなか想像しにくい山中である。国道から急に山中に入っていくがその取り付きが信じられないほど狭く、林道を走りながら脇道に入る道よりわかりづらい。はっきり言って入るのに躊躇する。車が一台やっと走れるかどうかの道である。曲がりくねった道を2キロほど進むと山の中腹に20戸ほどの村があり、そこに「木喰の里微笑館」がある。この日の館は初冬の青空と深い山々に浮かぶ天空の城のようにも見えた。

木喰とは仏教の戒律のことである。火を使う肉や穀類を一切口にせず、木や草を食らって修行をする戒律で、それを実践した僧を木喰僧というのである(塩も取らないとあるがにわかには信じがたい)。

この木喰上人は1716年に下部町古関丸畑に生まれたが、14歳で江戸に出奔(シュッポン=家出である)する。江戸でなかなか志を達成できず、22歳で相模国(神奈川県)の大山不動尊詣でをきっかけに、出家する。そして45歳のとき常陸国(茨城県)で木喰観海上人から木喰戒を受ける。そして56歳から日本国中を回る自己追求の厳しい旅が始まる。そしてその旅は北海道に始まり九州鹿児島まで20000キロの旅は入寂する93歳まで続くのである。

その間、仏像を作り、あるときは薬を作りながら世の人を救い、自らを究めていったのである。宗派をも持たず、寺を持たなかったがゆえに木喰上人の作った全国の木像と業績は1世紀あまり歴史から埋もれてしまった。しかし、明治時代に柳宗悦により見出され、世に「微笑仏」として知られるようになった。

この仏様の特徴は素人の私が見ても明らかである。仏像に直線的なところがなく全体として曲線的で、人間を超越した存在としての仏の姿とは程遠、どちらかというと肉感的で、現世的ある。わかりやすく言えばどこにでもいそうな小太りでいつも大声で笑っている近所のおばさんが仏様として彫られているという表現があたっていると思う。

木喰仏は眉は太くて丸く、目は細く垂れている。頬骨は異常なほど出っ張り、人がよさそうで近寄りがたさはない。

館内に入るとまず受付の女性が素晴らしい笑顔で迎えてくれる。微笑みの館である。ビデオの部屋に通され、15分ほど木喰上人の生い立ちから、その生涯が分かり易く紹介されている。そして受付の女性がお茶とお茶受けの梅干を持ってきてくれた。私の笑い顔が木食様のようだとのこと。ありがたいことです。それにこのような場所でこのようなサービスを受けたことに驚かされた。

そのあと木喰上人の仏像や上人の自叙伝と伝えられる「四国堂心願鏡」など多くの資料が残されている。その中でも上人が自らを彫ったとされる仏像はまん丸の顔に太い丸い眉毛、細い垂れ下がった目、出っ張った頬骨それに長いひげと、微笑み念仏とは上人そのものだったのであったであろうことが実感できる。それにしても心安らかになれる場所である。

最後の部屋には上人の残した和歌が上人を描いた色紙とともに飾られている。そのなかでも「みな人の 心をまるく まん丸に どこもかしこも まるくまん丸」という歌が目にとまった。ここに来たことの答えはこの一首あったと思った。

それにつけても上人のバイタリティーに感動させられる。上人が厳しい木喰戒を受けたのが45歳、現在の私の歳である。そして日本中全国を回る旅に出たのが56歳、それから37年間、死ぬまで日本中を回るのである。中高年や老後の生き方、看護が大きく論じられる時代、自らを極限まで律して生きた上人の生き様は、畏敬の念を持って崇める以外にない。そして、自分自身もかくありたいと思ったしだいである。

ここを訪れると間違いなく生きるパワーをもらうことができると信じる。

あとがき

私のこの一年のレポートとしてここまでにする。まだまだこだわりの場所はあるがきりがない。おもうに「甲府勤番風流日誌」の最初の版は、歴史的なこだわりが多くなり、重たくなってしまった。1年間それほど歴史にこだわろうという意識はなかったが、ある程度物事を知ろうとするとそのこのように歴史との対話になってしまう。これはこれでいいのであろう。

私の社宅の近くにミレーの絵で有名な県立美術館がある。この1年の間に7回も通っている。ワインといっしょでいいものをできるだけ多く見れば審美眼が養えるのではという願いからである。次の一年はより向上した私の審美眼と私が訪ね歩いた町々の少しいい話をを紹介できればと思っている。                

第11代甲府勤番   2000年12月



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