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旧塩川町、会津坂下町

旧塩川町(塩川町、熱塩加納村、山都町、高郷町はは平成18年1月4日に喜多方市と合併して喜多方市になりました。)

塩川町九重本舗奈良屋塩川町はその昔、舟運で栄え「屋号と暖簾の町」というキャッチフレーズを持つ町である。町の商店や銀行には「両替商」等とそれぞれ個性のある暖簾がかかっている。

この町には面白い食べ物がある。奈良屋の「ここのえ」というお菓子である。あられを砂糖と香料で包んだ粒状のお菓子でまるで車の灰皿に入れる香料のビーズ玉のようでもある。お湯を注いで飲むものらしいが、我が家の子供達はそのままパリパリと食べるのが美味しといっている。会津の人たちに限らず福島県下の大人はこれを見せると懐かしいといっていた。


会津坂下(バンゲ)町

この町を私は戊辰戦争のヒロイン中野竹子の墓があることで知った。会津に来た翌日「武士のたけき心にくらぶれば数にも入らぬわが身なれども。」という時世で有名である。 彼女は娘子隊(ジョウシタイ)の隊長といわれているが、会津の軍制の中にそのような隊はなく彼女達を美化するために作られたものであろう。

別れの一本杉の碑(前に立つと曲が流れる) この会津坂下町はあの「春日八郎」の生まれた町である。立木観音のある塔寺あたりが生家らしい。有名な「別れの一本杉」のそばに「春日八郎記念館」が建っている。敷地内に入ると杉の木の脇に別れの一本杉の歌詞を書いた碑がありその前に立つとセンサーが働き別れの一本杉の歌が流れる。「泣けた泣けたこらえきれずに泣けたっけあの娘とわかれた…一本杉の石の地蔵さんがよ…」と続く。確かに一本杉の脇には石の地蔵さんがある。昭和一桁の人達にとっては涙が出るような場所である。事実、妻の両親と私の母はここにつれて来てくれたことをとても喜んでくれた。

 会館は無料で入ることができる。中には春日八郎の衣装やギター譜面、写真が並べらており、カセットテープや土産物が売られている。

 奥にはカラオケのセットが置かれており誰でも歌うことができる。ところがここで歌っている人達は半端な人達ではない。外で聞いているとまるで春日八郎のレコードがかけられているのではと思うほど上手い。この人達にすすめられてもとても歌えるものではない。彼らによるとここのカラオケセットとスピーカーは他ではないほど良いものらしい。

 会津坂下町には塔寺地区に会津三観音のひとつ「立木観音」がある(他に新鶴村の中田観音、西会津町の鳥追い観音)。約千年前に約8メートルある立木をそのまま彫った観音様で今もその根の部分は本堂中央の石組みの中に収まっている。

立木観音(だきつき柱) 本堂自体は600年ほどである。住職が「本尊様から比べたら建物はたかだか600年ほどです。」などと謙遜しておられた。本尊は外からは大きな幕で隠されて見ることができないが、300円拝観料を払って中に入ると、その観音様の大きさにびっくりする。その右側の柱は「抱きつき柱」それに抱き付いて念じるとコロリと死ねるらしい。またここから見る観音様のお顔がとてもやさしく見える。中に入らずとも「外柱」がありこれに抱きつくと願いは叶うらしい。

毎年1月14日には坂下町の大通りで直径2メートル、長さが3メートル以上重さ3トンはあろうかという大俵引きが行われる。400年ほど続いているとのことで東の上町が勝てば米の値段が上がり、西の下町が勝てばその年は豊作になるといういわれがあるときいた。毎年雪の中で行われている。

堀部安兵衛

会津坂下町は赤穂浪士の堀部安兵衛の生地とされている。会津に住むまでは安兵衛は新潟県新発田藩の出だと思っていた。ところが坂下の記録によると堀部の父親は越後新発田藩で失火を起こし出奔(シュッポン)しこの会津にやってきた。幼いころ父親は賊に襲われて命を落とした。そして安兵衛は幼いころ1回目の敵討ちをしたという。2回目はおじの果し合いの助太刀を有名な高田馬場の決闘(このころまでは当然中山安兵衛である。)、そして最後は赤穂浪士の討ち入りの後切腹することになる。

坂下町の街中にある生協の脇の通りは「安兵衛通り」と名づけられており、朱色の街灯の支柱がならんでいる。この朱色の支柱を見て通りの名前を聞いた時に私は「なるほどね。」とつぶやいた。好きな講談では「直心影流堀内道場」で意気投合して叔父甥の関係を契った伊予三島藩士管野六郎左衛門の果し合いをすることになった。安兵衛が助太刀に高田馬場に臨むとき朱色の刀の鞘で走っていく姿が語られていることからきているのであろうと思った。これはそのとおりであるということを関係者から確認している。

ところで私はその後、安兵衛について調べてみた。安兵衛の父は城の櫓の失火を出し、藩を離れ失意のうちに病死したという記録はあるが、賊に襲われ死亡し、安兵衛が1回目の敵討ちをしたという記録は見つからなかった。ただ,父が病死した後母方の叔父溝口三郎兵衛に引き取られたとある。そこが会津坂下だったのかもしれないがそれ以上はわからなかった。

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