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小笠原長時は信濃の弓馬と礼式の名家で、小笠原流の中興の祖ともいわれ、彼の時代に小笠原流の原型は完成したと伝えられている。 武田信玄に信濃を逐われた小笠原長時は、京都の三好氏を頼りそこも織田信長に攻められ、越後に上杉謙信を頼り、最後には会津の葦名盛氏のもとに身を寄せていた。しかし、家臣の手にかかって殺害されたと伝えられる。 長時の三男貞慶は後に旧領を回復し江戸時代松本藩の藩主となっている。 |
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2004年12月25日午前9時30分撮影