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会津松平藩の祖「保科正之公」が会津に転封となった時移ってきた「お供寺」の一つ。当時は慶山寺という無住の寺であったが、そこに山形より正之公に従って会津入りした機外禅師が開山したという。松平家の産所でもある。 本堂の入り口が参道の正面には無く少し右側にある。これはいざと言うと時には立てこもる場所でもあるため、戦いやすいようになっているのだという。 このお寺は京都高尾・嵐山より移植した「大龍寺のかえで」や、目黒浄定作の庭園、小笠原流の祖・小笠原長時の墓などがある。 本堂の裏は「モリアオガエル」の産卵場所でも在る。昔はかなりの数のかえるがいたという。 特に本堂の中には「幽霊の足跡」がある。幽霊の足跡については東山地区の人にとっては常識なのですが「会津見て歩記」参照してください。 会津若松市慶山2-7-23 地図 |
2004年12月25日午前9時30分撮影