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会津見て歩記Photo版6-2
「近藤勇の墓」 

近藤勇の墓。戒名は「貫天院殿純忠誠義大居士」、松平容保の書といわれる。
墓には近藤勇の名前は見当たらなかった。会津戦争のとき西軍に見つからないようにするために参道もなく、戦後、この山の中で遊んでいた子供がこの墓を見つけたといわれている。
墓の左前には近藤勇の時世が刻まれた碑がある。
右に見える「歳進院殿誠山義豊大居士」という墓標は土方歳三の慰霊碑。
4月25日の近藤勇の命日である。
2004年はNHKの大河ドラマが「新撰組」であったところから東山の関係者もとても忙しかったという。
つくに最終回「新撰組の斎藤一」役のオダギりジョーが松平容保公から名刀小鉄を賜りそして近藤勇みの京都三条河原にさらされた近藤勇の首を持ってくるように命じられて、京都に行ききりこむシーンは・・・ここに近藤の首或いは遺髪があるという説に基づくもの・・・。会津フリークにはこたえられない結末でした。

地図

2004年12月25日午後1時33分撮影


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