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応永28年(1422)、会津にきた傑堂禅師が11代芦名盛信の建立により創立した寺。かつては会津曹洞宗の頂点にあり末寺33カ寺、12の寺院をかぞえたという。 芦名盛氏が永楽100貫文を寄付、雲水1000名をかぞえた芦名氏の菩提寺であった。しかし、伊達政宗の侵攻にあって焼けたた。 境内には新撰組局長近藤勇や会津戦争の全責任を負って切腹した家老「萱野権兵衛」、留学先で辱めを受け自刃した息子の「郡長正」の墓がある。 近藤の墓は本堂の真裏辺りの丘の上にある。萱野親子墓の途中に早乙女貢氏の超大作「会津士魂」の碑が建っている。 会津若松市東山町石山天寧208 地図 |
2004年12月25日午後1時20分撮影