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今岳と末柏浜
(268m)
故郷の山と海

今岳は268メートルの低い山であるがが、立神岬の中央部に聳えるこの山は近隣から見てすぐに「今岳」と同定できるとても特徴的な山である。
山頂には今嶽神社があり熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社より勧進したといわれる「十二ヶ所権現」*があり古くから航海安全の守護神として礼拝されてきたといわれる。
今回紹介している坊津の写真(丸木、久志、亀ヶ岡、秋目)にいくつも天を突くように聳える今岳が写っています。それらの写真から今岳がどのような山か理解していただけると思います。
「007は二度死ぬ」という映画の中で007のジェームス・ボンド(ション・コネリー)がシャイロコプターで秋目の上空を飛ぶシーン(その後のヘリコプターとの戦闘シーンは阿蘇山になりますが…)や浜美枝と伝馬船を漕いでスペクターの秘密基地のある沖秋目島(枇榔島)に行くときのシーンで背後に今岳がくっきりと写っています。「007は二度死ぬ」をDVDやビデオを見るときには注意してみてください。
上の集落がポンカン発祥の地の池屋敷、下の集落が末柏です。末柏の先の馬込浜には馬来丸の慰霊碑が建っています。
末柏浜の堤防の取り付の場所に素敵なペンションSALT&PEPPER(ソルトアンドペッパー)があがありましたが2020年に廃業とまりました。
*熊野三山には12柱の神が祀られており、これを「熊野十二所権現」という。
今岳登山
今岳
(268m)
管理者の実家前から撮影
山頂に今岳神社がある
今岳の夕景
 末柏浜と立目鼻と対岸の岬にエイ岳(182m)
写真は1875年に撮った今岳の全景写真(上が池屋敷、下が末柏)
奥が宮崎鼻、博多浦と久志湾と車岳
末柏浜から今岳を望む。
末柏浜から末柏集落と上部が今岳集落
子供のころ遊んだ浜。
成人しても鹿児島に住んだ30から34歳までは毎週のようにこの浜に潜って魚を突いて採っていた。

正面右手の海岸は「泣子(なっご)ら浜」と呼ばれましが、今岳の名前の由来となった言い伝えが残されています。
下に別枠で紹介します。
末柏浜の堤防
とても透明度の高い浜である。
子供達もここで潜りとモリの突き方を覚えた。

この浜が右奥が馬込浜ででそこにマレー丸の碑がある。
現在廃業となりました。
海辺の小さなペンション
 SALT&PEPPER(ソルトアンドペッパー)

海外生活の長い素敵なご夫婦が一日一組限定の大人の癒しの空間を提供してくれます。自家製栽培のハーブ、有機野菜、自然塩を使った料理が自慢です。
坊津町久志8501-1


末柏浜堤防から久志湾の全景(合成写真)。 正面が久志湾の真ん中に飛び出す宮崎鼻右手の岬が立目鼻。岬の中央部のどっしりした大きな山が尊牛、そして右の車岳。 マレー丸はこの右奥で沈没した。
【北岳そっくり】
現在、妻と二人登山(夫婦で登る日本百名山)を楽しんでいるが、南アルプスにある我が国第2の高峰北岳(3193m)を登山口の広河原から仰ぎ見たときに見た北岳が、故郷の今岳に思えてならなかった。
今岳は低い山とはいえ東シナ海に突き出た立神岬の中央部が北岳のように天を突くように聳え、山頂東側直下にある岩場が北岳の大岩壁(バットレス:ロッククライミングのメッカです。)のように見える。とても存在感のある山である。夕日のシルエットを見るとますますその思いを強くする。山頂の右側のなだらかな尾根が北岳肩の小屋の辺りで、左側の窪地(鞍部:コル)になっているあたりが北岳山荘のあたりに思えます。今年(2008年)、仙丈岳(3033m)に登ったときも広河原から北岳を仰いで改めてその思いを新たにしました。)
因みに、管理者はこの写真を撮ったこの場所(元今岳小学校の隣)で生まれ、大晦日には紅白歌合戦が終わってから初詣に登り、そして青年団では肝試しにこの山の途中にある鳥居の注連縄の幣を取に行かされました。毎日この山を仰ぎながらながら育ちました。夕日を背にして輝く今岳も絵になる山です。
【言伝え】
子供の頃、山頂の少し先には池があり間違って落ちると手足と胴体がバラバラになって足は末柏の「なっごら浜」に、胴体は岬の先の「立神」に、手は「閼伽の間(あかのま)」に出てくるという話を聞かされた。(今岳の言伝えですが…14歳で青年団に入り肝試しの前に聞かされた遠い昔の記憶です・・)
【故郷の山】
深田久弥の著書「日本百名山」87番目「白山」の書き出しは以下のように始まる。
「日本人は大ていふるさとの山をもっている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そしてその山を眺めながら育ち、成人してからふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままだけで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。・・・つまり私の故郷の町のどこからでも見えた。・・」とある。これは深田久弥氏の故郷石川県大聖寺町(現加賀市)から仰いだ白山を書いたものであるが、私がこの下りを初めて読んだときまぶたに浮かんだのは幼い頃日々仰いだい「今岳」であった。今岳は間違いなく私の故郷の山である。
 2009年8月に白山に登ったときのレポート
 【泣子ら浜の言い伝え】坊津郷土誌上巻536頁
暖かい春びよりであった。村の人たちがこの浜に貝を採りに行ったら美しい女の子がずぶ濡れになって岩の上で泣いていた。かわいそうにと、一人のおばあさんが背負って来て自宅の庭に休ませねんごろにいたわって慰めてやった。
この美女は南洋方面から漂流してきた女神であるとたたえられたそうであるが、やがて今岳神社に合祀ししたという話である。この岩は今でも残っており村のある家がいつもお花を上げて豊祭りの時には毎年甘酒をあげて献上していたという。
これについては今岳地区では別の言い伝えもあり、おばあさんが美しい少女を背負って家に連れて帰るといつの間にか丸い石になっていた。周りの人がいつ石になったと聞くとお婆さんは「いまじゃっど=(今)」と答えたという。それでこの少女は南洋から来た女神だったのだろうと崇められ石を今岳山頂に持っていきご神体とした。今岳の名も由来もそこにあるという。
それ故、今岳神社のご神体は丸石で昔は神社に登るとき少女が泣いていた浜の丸石をもって上がる習慣があったという。

MAP
2006年(平成18年)8月11日 午前10時15分撮影

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