TOP 南さつま市坊津町に戻る  

坊の町歩き

坊津の歴史、観光のボランティアガイドのNPO坊津やまびこ会が定期的に開催する町歩き。
鹿児島のなかでも歴史の深い坊津の町並みをやまびこ会の案内で楽しんでいただいた時のものです。
町歩きの始まりは観光案内所から
国指定名勝坊津
双剣岩
船の出入りを監視する番所跡
 廃仏毀釈で破壊された仁王像

一乗院の処分に来た責任者は若い頃は人切半次郎と知られた西郷隆盛の右腕桐野利明が来ている。
 原耕像
カツオの遠洋漁業の父と呼ばれる原耕。
医師でありながら自ら南洋にわたり漁場を開発した。
1933(昭和8)年インドネシアのアンボン漁業基地を建設中に悪性マラリア冒され、死去。享年58。
坊津街道

大宰府と坊津を結ぶ街道
島津氏の支配確立後は薩摩街道と呼ばれるがそれ以前は坊津街道と呼ばれており今でも福岡県久留米や筑後市では坊津街道と呼ばれて様式が立っている。
沈溺諸霊塔
1808年唐の船が沈没し61名がなくなったのをこの脇にあった広大寺にほおむった。1832年に中国から船主が坊津を訪ねて厚意そ謝したという。
移築された太鼓橋
1721年に当時の豪商が公衆のために私財をなげうって中坊の奥の院川に架けた橋が国道整備でこちらにいちくされた。
町歩きは狭い階段も登る
一乗院跡の仁王像
一乗院跡の上人墓
 一乗院跡の墓
木下大善太夫の墓
豊臣秀吉の親戚であることをいいことに狼藉をはたらき坊に流された。
暗殺の命を受けて祭りに連れ出して殺した。しかし、死に際に祟るといったため墓を建てたという。
坊の入江が一望できる
 アコウの木
 龍巌寺とトンネル
 近衛屋敷跡
 龍巌寺
 船揚場
 摩崖仏が掘られた崖
 上の坊
 アカンコ供養塔
 アカンコ
供養塔の案内板
 鶴見公園の案内板
 坊の入江
 山内家屋敷跡
佐藤家の山川石の墓
かなりの富豪であったことがうかがえる。
 佐藤家の墓の案内板
 坊の入江
 石畳の路地
 石畳の路地
 豪商屋敷跡
 興禅寺跡から坊の入江
 曹洞宗の祖道元が唐にわたるためにここに2年滞在した。
その道元の師匠がなくなった墓。道元は唐にわたれず帰っている。
 薮の中にあるカツオ漁で死んだ漁師の慰霊塔
全ての男達の名前が掘られている
 八坂神社と鶴崎
 いわゆる密貿易屋敷と言われる家
 八坂神社
 八坂神社裏
 井戸へつながる川
 石畳
 井戸
この上に摩崖仏があるが現在はっきりしなくなっている。
 深浦
造船所跡。
この奥に日本医返送して密入国した宣教師シドッチを幽閉した石牢があるともいわれる。
 船揚場
 坊の入江

2021年(令和3年)8月
夫婦で登る日本百名山 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県南さつま市坊津町 Good Journey(よい旅を!)