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久志の穴ん婆さん

「尊牛山の山腹に大きな岩穴があり、昔、久志に都の高貴な女性が念仏を伝えたが一向宗に対する迫害があり、上野集落に身を隠し、そのあと尊牛山の山腹にある岩穴でに移り住民の加護を受けて生きの伸びたという。そこで村人は「穴ん婆さん」と呼んだ。しかし、ひな祭りの日に死んだとか、密告され捕らえられ処刑された。」とか伝えられている。これが私達が子供の頃、聞かされた「穴ん婆さん」伝説である。
高貴な女性は神武天皇から数えて112代の霊元天皇( 1663 〜 1688 )の皇子勝宮の乳人を勤めた京都正光寺第13代教従の娘・久女である。勝宮は 1713 年 5 歳で亡くなられる。父君の霊元天皇はその後、皇子について霊夢を感じて 33 体の観音像を刻み、これを全国 33 所の霊跡に奉納することを久女に託されました。久女は霊跡を廻り、1736(享保21年)年頃久志にやってきた。それからは先は言伝えの通りらしい。久志地区で言い伝えられている通りらしい。1738年(元文元年)3月3日にここで死んだとか密告により捕縛され処刑されたと言うが明らかでない。
 穴ん婆さんの案内板
久志の東側に聳える尊牛山の山腹にある。
 穴ん婆さんの碑
 
 大きな洞窟
 洞窟の中
 洞窟の全景と崖の様子
 岩清水の碑
「古きを思いだして 袖なみだ あわせてものを 石清水かな」明治12年7月京都正光寺住職 大八木締聴
 


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