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南洲神社で見つけた西南戦争で戦死した
西南方の先人達

鹿児島市上竜尾町にある南洲墓地と南洲神社は1877年(明治10年)の西南戦争の薩軍の戦死者を埋葬し、祀っている場所である。神社の境内の壁に薩軍戦死者6765名の名簿が鹿児島の西郷隆盛を筆頭に地区ごとに掲載されている。2012年1月3日に家族でたずねた時に西郷隆盛が書かれている一番最初の壁の中段にに坊津町の旧呼称である「西南方」の記載を見つけた。そこには吉見や尾辻、鹿島、大山、小原、鮫島等坊津でよくある苗字を見つけた。
このように知っている苗字を見ると遠い歴史上の戦に故郷の先人達が沢山参戦して戦死し、それを送り出した多くの家族たちが涙したであろうことを思い浮かばれ「西南戦争」がもっと身近なもの思えてならなかった。 南洲墓地
南洲神社には6765名の戦死者がが祭られている。
その壁の銅板に各地区ごとの戦死者の名前が書かれている。
西南方と書かれている。
坊津町になる前は西南方である。
その左に生駒蔵人以下44名の名前が並んでいた。
その前には「東南方」とあった。すなわち現在の枕崎市の戦死者たちである。

「知覧」の地名のわきに吉見の姓が読める。
【銅板に書かれていた西南方の戦死者の氏名】
生駒蔵人、生駒林蔵、生駒宗太郎、生駒藤十郎、大山末吉、尾辻林助、尾辻仲太郎,小原屋栄、折田三之助、鹿島誠一、鹿島宗太郎、久木元喜之助、久木元熊吉、久木元信憲、是枝半兵衛、鮫島宗徳、田實徳之助、田實宗之丞、竹山甚助、寺田惣一、長井正吉、長井萬之進、長井弥藤太、野口嘉熊、野口鎮雄、野口常右衛門、野間與之助、早水宗八郎、古川藤左衛門、古木平之丞、古木半兵衛、邊牟木宗之丞、松下宗八、松下正之助、丸野仲左衛門、丸野太郎次、丸野源七郎、宮田善之助、牟田休助、山口権助、山中十郎、吉見喜八、吉見八十次、吉見宗太郎 44名

2012年(平成24年)1月3日


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