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一乗院跡と上人墓地
Ihijoin-Temple Ruins & Shonin Cemetery

敏達天皇12年(583年)百済の僧日羅が仏教弘布のため建立したとも伝えられる一乗院。
敏達・推古天皇の祈願所、鳥羽上皇の宣旨で紀州根来寺の別院として西海の本寺、上皇の祈願所となり如意珠山一乗院の勅号を受ける。
その末寺は薩摩大隅の国内47ヶ寺、坊津でも18ヶ寺あったと言われ、日羅上人は自ら仏像三体を刻み、上中下の三坊舎を設けて安置しました。坊津の名称はこれに由来。
明治時代の廃仏毀釈で廃寺になってしまいましい、仁王石像が当時をしのぶ唯一の遺構である。お寺の上人の墓地が残されている。
因みに廃仏毀釈の責任者とし来たのは西郷の右腕若い頃は人切半次郎と呼ばれた桐野利明である。
元坊泊小学校後の門の脇にある大きな木の下に仁王像がある。
左下の狭い道を登ってくる。
仁王石像
 左側の仁王石像
 一乗院跡の説明版
 上人墓地の一つ
 上人墓地
 廃仏毀釈で壊された仏像

体も半分にされている
 上人墓地
 上人墓地の配置図

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