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尾瀬「燧ケ岳」登山

2003年7月18/19日 曇り時々小雨

200371819日 尾瀬燧ケ岳登山  妻と2人のパーティー

182030分出発

埼玉の自宅を8時半に出発して高速東北道を北上し、西那須塩原ICで降りて、約100キロ先の尾瀬の入り口南会津郡桧枝岐村の御池の駐車場を目指した。

1時間ほどして栃木県を越えて会津高原に入ってから御池までの70キロの間、1台も対向車にあわないのには驚いた(ウサギは3匹見た)。

御池についたのは181230分であった。広い駐車場に止まっている車は平日ということもありそれほど多くはなかった。

19日 午前530分発

車の中で休み午前440分ほどにカッコウの鳴き声と啄木鳥のドラミングで目が覚めた。少し曇って入るが雨は降ってはいなかった。ここから約9キロ先にある沼山峠には一般車両は入山が規制されておりシャトルバスしか入ることができないが、朝4時半から30分おきに運行されている。この駐車場に入れない車はこの峠の下にある「七入」で規制されシャトルバスで入山することになる。

530分のバスに乗り15分ほどで着いた。第三便目であるがバスはほぼ満員であった。運賃は530円である。

610分に沼山休憩所を出発する。15分ほど登ると見晴台がありそれから下り坂になる。尾瀬への道は木道が整備されており、それから20分ほどで大江湿原が見えてくる。湿原は一面ニッコウキスゲと雨にぬれたワタスゲに埋め尽くされていた。そのほかにもアヤメやミズギボシの花も見られた。

720分ほどに尾瀬沼ビジターセンターに着いた。そこで少し休んで長蔵小屋の前で湧き水をもらって、リュックに詰めて8時頃に尾瀬沼を出発した。

長蔵小屋の前には「ヒメサユリ」の可憐な花が雨にぬれて咲いていた。

ビジターセンターを出発して少し大江大江湿原方向に戻り、尾瀬沼北岸ルートに向かって左折する。湿原の中央にある橋の下にはイワナを見ることができる。そして北に目をやるとこの尾瀬を守り育ててきた平野家の墓が見える。ここは尾瀬を湿原の中央に3本の木が生えており、尾瀬の写真でよく目にする場所である。

湿原を渡り小高い丘に入り山道を10分ほど歩くと、次の小さな浅湖湿原の手前で燧(長英)新道への入口が見えてきた。ここで一度身づくろいをして木道を右折して815分に燧新道に入った。

これからの道はそれまでの道とはまったく異なる厳しい登山道である。大きな木の間の滑りやすい、ぬかるんだ、なだらかな山道をカッコウや鶯の鳴き声を聞きながら、だらだらと登った。

登山道の入口から最初の目的地ミノブチ岳までの地図のコースタイムは2時間30分となっているが、ぬかるんで足場が悪く、初めてのテント泊の重装備をした妻と二人の登山であり、このルートを休みながら3時間を目標とする。

だらだらと2時間ほど視界の利かないなだらかな山道歩く間に3回休憩をとり、3回目の休息をとった後から山道はすぐに急坂になって道の幅も人一人が歩けるほどの狭いものになる。泥道と滑りやすい岩場を三点支持の基本原則に従って慎重に登りきると突然、霧の中になだらかな場所が現れた。そこは小さな湿原になっており40分ほど急坂を息を切らしながら登ってきた私たちにとっては天国に思えた。

これから比較的歩きやすい山道になり、沢の下に雪渓が見えてきた。このとき外国人のカップル2人を含む4人のパーティーが我々を追い抜いていった。

最後の笹薮の急な坂を登りきるとそこは広いミノブチの山頂だった。1115分、山頂に着いた。通常よりかなり時間をかけて登った。山頂に立ち10分ほどの間にそれまで見えなかった尾瀬沼がかすかに見えてきた。南東には出発した尾瀬沼の長蔵小屋あたりが見え、南には沼尻が見えていた。いつも見上げていた場所を見下ろせるのに感動した。そして同時に北側にある俎グラにかかっていた雲が消えてくっきりと美しい姿を現した。

俎グラとの間の稜線には薄いピンクの石楠花の花が咲き誇っていた。

先ほど私たちを追い抜いていった4名のパーティーの若い外国人の男性が「Take a picture」と話しかけてきたので、言葉に甘えて写真を1枚とってもらった。

そして我々も彼らに続いて俎グラを目指した。岩場を登ると25分ほどで俎グラの山頂2346mに到達した。1145分であった。俎グラまでの道が悪く普通よりかなり時間がかかってしまった。

山頂はかなり広く中央には石の祠が5つほど建ててあった。

山頂にはすでに5組ほど約15名ほどの人たちが思い思いに食事を取ってくつろいで山頂を楽しんでいた。

360度パノラマが楽しめるはずであるのだが雲が多くなかなか視界は利かなかったが尾瀬沼を一瞬見ることができた。

真西にある燧ケ岳の最高峰「柴安グラ」がくっきりと鋭い山頂を見せてくれた。

私たちも山頂の岩の陰でバナーを使ってお湯を沸かし、まずコーヒーを入れた。そしてスープとヌードルを作り、大宮の成城石井で買って来たパンをナイフで二つに切り、その間にハムとソースを挟んで昼食をとった。そしてデザートに持ってきた千代田区麹町にあるパテシェ・シマのケーキも頂いた。

それにしても山頂のメンバーに驚かされた。ほとんどが中高年で60台以上の人たちが多い。特に私たちが山頂についた後に御池からの一番きついルートで登頂してきたパーティーの女性はどう見ても60代半ばで足を引きずりながら、うれしそうに上がってきた。

山頂をゆっくりと楽しんだ後、1255分に石楠花の花の咲く俎グラの西斜面を下り始め、そして柴安グラに大きな石が重なり合うような岩場を急登した。山頂2356m20分後の115分に山頂に着いた。2組のパーティー6名ほどがいるだけであった。

私たちの後に登って来た同年代の夫婦のパーティーが俎グラの山頂と比較してどうしても俎グラのほうが高く見えると話していた。

確かに感覚的には俎グラの方が高く見えるような気がする。こちらの山頂からは俎グラほど視界は利かなかった。ここで三脚を使って二人の写真を撮った後、130分に南西の方角、尾瀬ヶ原の見晴方面に下山を始めた。

ここから見ると見晴らしとその先に尾瀬ヶ原がかすかに見下ろすことができた。晴れていたら尾瀬ヶ原の先に至仏山が見えるはずである。ここからは見晴らしの手前の山の頂上に大きなヒョウタン田代が見える。この田代は燧ケ岳柴安グラに登らないと見ることができないもので、見晴方面から燧ケ岳を見ると正面に台地のように見える山の上にある田代である。

見晴らしのいい岩だらけの急な道を15分ほど下りると温泉小屋方面と見晴方面との分岐点に出た。案内柱には温泉小屋に向かう右方向は「上級者向き」、見晴らし向かう左方面は「中級者向き」と赤いペンキで書いてあった。

私たちは左側の見晴方面に下山した。ところがこの道は地図では「尾瀬沼から下りて来る木道との合流点までは「2時間ほどで樹林帯の中で見晴らしはない。」と書かれているが、とんでもない道である。

分岐点を出てすぐの場所に岩場を垂直に下りる場所がありその後はひたすら2時間以上、涸れ沢を下っていくといったほうが正確である。倒れた大きな木の下をくぐったり朽ちた木の上を乗り越えたり、厳しい岩場がトレッキングシューズの限界を実感させられた。これほどの山になるとしっかりしたハードブーツでないとだめである事がわかった。妻は口も利けないほど疲れてしまった。

数回休み、2時間ほど歩いたところでブナ林に入り、涸れ沢からぬかるんだ泥道に入り20分ほど歩いてやっと木道に出た。それから15分ほどで見晴らしの第二長蔵小屋が見えてきた。

山頂を出て2時間45分ほどかかって420分に見晴十字路の野営地に着いた。

野営場の管理をしている「燧小屋」という山小屋で1800円の利用料金を支払ってキャンプサイトの一番奥の草地の上にテントを設営した。

テントはダンロップのVl-31という3人用の山岳テントを2から3分ほどですぐに立て、そのあとコーヒーを入れて一休みした。その後すぐに山用の携帯食による五目御飯やスープによる簡単な食事を済ませた頃には回りはかなり薄暗くなっていた。

食事の後、山小屋の間を抜けて尾瀬ヶ原の木道を30分ほど散策した。尾瀬ヶ原見晴(十字路)は尾瀬で一番にぎやかな場所で中央の通りをはさんで6軒ほどの山小屋が並んでいる。この日は東京都国立市の中学生の林間学校の集団が来ておりとてもにぎやかだった。

山小屋で宿泊する人たちは温泉街で見かけるつっかけの下駄で木道を散策しており、とても山登りという雰囲気ではない。

ここから見る光景は湿原の中央を木道が真っ直ぐに伸びている尾瀬を代表する写真で見かけるそれである。木道の両脇には山の果てまで、見渡す限りどこまでも黄色いニッコウキスゲが咲き乱れていた。このようか景色は今まで一度も見たことのない景色である。思わず「天国というのはこのような光景か。」と夫婦ともに口をついてしまった。よく見るとタテヤマリンドウ、ハクサンチドリ、トキソウに似た白い花が咲いていた。

テントに入り持って来た、とっておきのルミエールのワインを飲んでシュラフに包まって繭になった。

719

翌朝テントをたたく激しい雨音で目が覚めた。周りのテントのメンバーはすでに起き出してなにやら楽しげに話している。

雨が少し弱くなったところで外に出て、雨の中お湯を沸かし、小雨のキャンプサイトにコーヒーの香りを漂わせた。そしてお雑煮とパンにハムそれにプラムで朝食を済ませた。

小雨の中テントを撤収して、650分に見晴を右折して温泉小屋、三条の滝方面に向かった。

木道の左側にはニッコウキスゲとワタスゲが一面に咲いていた。730分には温泉小屋に着いた。ここで水と甘いものを補給して三条の滝に向かった。このルートはずっと下り坂であるが滑りやすく、ぬかるんだ一般のハイカーには少し歩きにくい道である。道の左側に尾瀬から流れ出る川のせせらぎを聞きながら下るとロープや鎖のある急な木の階段を下りたところ平滑りの滝に出た。約50メートル長さ500メートルの間、尾瀬から流れ出る高さはないが雄大な滝である。それから、30分ほど急な山道を上り下りして三条の滝と御池に向かう分岐点に出た。この分岐点でリュックを下ろして200m.にある三条の滝の見晴台に向かった。見晴台に向かう道は先に来たツアーのハイカーの長い列が急な木の階段を占拠して混雑していた。かなり高齢なハイカーも多く、晴れた日でも大変な急な木の階段は泥だらけになり滑りやすく躊躇するため渋滞を招いていた。

滝を見渡せる場所は木の中にあり、多くの人がひしめいていた。左手の木の間から大きな音を立てて三条の滝が雄大な姿を現した。見晴台になっている岩場の先にはさらに木の橋が設けられ三条の滝を正面から見ることができる見晴台が設けられていた。正面から写真を撮ることができる。日本滝百選の一つである。尾瀬の水がすべてこの滝となって100メートルの高さで流れ落ちる。それを直前で見る迫力と感激は尾瀬の山を歩いてきた者しか体験できないものであり思いはひとしおである。

リュックを置いてきた分岐点に戻り、910分に御池に向かって登り始めた。ここから約30分ほどの間がかなりの急登であった。先に行ったパーティーを追い抜いて温泉小屋から御池へ向かう段吉新道と燧裏林道とが交差する三叉路に出たのは930分であった。これからの燧裏林道は多少の上り下りはあるもののほとんど木道を歩く御池まで約2時間半のブナ林のコースである。ブナの巨木を見ることもできる。途中でシボ沢を渡るつり橋のたもとの休憩とり、1040分に渋沢温泉小屋に下る天神田代前の分岐点にでた。シボ沢のつり橋は以前はなかったが立派なつり橋ができ、橋の両側にベンチがあり休憩することができるようになっている。

天神田代には広々とした田代が広がり10センチほどしかなく花が小さなミヤマリンドウやワタスゲ、モウセンゴケなどが雨に濡れ風に揺れていた。

これからいつか沢を渡り30分ほど歩くと西田代に出る。横田代、上田代と気持ちのいい尾瀬らしい木道のコースが続き、燧ケ岳を見上げることができる。時間を気にするツアーのハイカーではないため、ゆっくりと写真をとりながら田代の美しさを楽しんだ。中でも上田代は一番大きく田代の中央に休憩できるスペースがあり、先発のハイカーが休んでいた。私たちも最後の休息をとり木道の脇でコーヒーを沸かし、残しておいたルミエールのワインとパテシェ・シマのお菓子置を食べて、田代の美しさを楽しみながら尾瀬のすばらしさを語り合い、また別のルートで尾瀬に入ることを誓った。

そして幾分下りになる木道を下り、御池田代の出た。ここは水芭蕉の葉が生い茂っており、ニッコウキスゲとリュウキンカ、アザミの花が咲き乱れていた。そして燧ケ岳登山口に出て、1225分すぐ脇にある御池の駐車場に到着した。

御池を出て桧枝岐村の手前にあるミニ尾瀬公園を訪ねた。

公園は尾瀬に入れない人たちも尾瀬を楽しめる湿原や木道なども作ってあり、橋を渡った左側には「夏の思い出詩碑、譜碑」が立っている。公園奥には南アルプスやヒマラヤの写真などで知られる白籏史郎尾瀬写真美術館がある。公園の中央には三角の屋根を持つ「武田久吉メモリアルホール」があり、これらを500円で楽しめるのはリーズナブルである。

今回の尾瀬訪問の目的の一つはこの武田久吉メモリアルホールであった。尾瀬の自然を愛し、尾瀬を守った植物学者で日本山岳会を作った方である。「麹町ウぉーカー」で紹介した千鳥が淵の桜並木を作った英国公使「アーネスト・サトウ」の次男である。武田久吉先生に関しては、近く「麹町ウぉーカー」で千代田区4番町にある「日本山岳会」を紹介するときに書く予定である。

ミニ尾瀬公園を出て村営の新しくなった「燧の湯」に入り、さっぱりした後、お目当ての檜枝岐名物の「裁ち蕎麦」と、「はっとう」を頂いた。「はっとう」は蕎麦ともちの粉を半分ずつ混ぜて7ミリほど伸ばし、それをひし形に切、十年ゴマをまぶして食べる檜枝岐の名物で、かって村の人が高貴な方に出したら余りに美味しくて下々の者が食べることを禁じた「御法度」から来ているという。檜枝岐村では「やなぎ屋」さんが最高であると思っている。

その後その隣にある重要文化財の檜枝岐歌舞伎の舞台を見に行き、六地蔵の写真を撮った。そして会津に住んでいたとき子供たちがスキーシーズンの最後にスラローム試合にやってきた檜枝岐スキー場という小さなスキー場に行き、夏に行われる雪祭りの雪の塊を見て檜枝岐村を後にした。


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