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=======麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)No.84========== 11月1日から、紙幣が新札になりました。もう、自分の財布に入っている読者の方もたくさんいらっしゃるのでしょうね。私は、まだ現物を手にしていません・・・・・。 ところで今日11月7日は、「知恵の日」と朝日新聞社が昭和38年に制定したそうです。何か、わかった様なわからない様な日ですね。今日を立冬になるのが多いから「鍋の日」と制定した食品メーカーのヤマキのほうが、ピッタリという感じがしました。 そして昭和11年の今日、東京・永田町に帝国議会議事堂(現在の国会議事堂)が落成した日でもあるのです。当時としては、相当な費用をかけたようです。そういえば、昔の壱拾円札には、国会議事堂が印刷されていましたよね。 今回H氏は、永田町の国会議事堂をレポートしました。 ==================================== 麹町ウぉーカー66号で「2・26事件」を取り上げたときに決起軍が建設中の国会議事堂を占拠したと紹介した。今回は現在の国会議事堂の建設について紹介する。 国会議事堂はわが国の政治の中心地であり、国民の付託を受けた国会議員により構成される国権の最高機関で、国の唯一の立法機関である国会が置かれている場所である(千代田区永田町1-7-1)。 この国会議事堂は大日本帝国憲法下において天皇に属した立法権の協賛機関であった帝国議会の「議事堂」として昭和11年に完成したものである。 わが国の議会制度は明治23年に始まるが、この議事堂は第4代目である。 初代の議事堂は明治帝国憲法が発布された翌年の1890年(明治23年)第1回帝国国会開催に向けて麹町区内幸町2丁目に1891年に建設された。現在の日比谷公園わきにある飯野ビルの場所にあった。ところがこの議事堂は何者かの放火により完成から2ヶ月ほどで消失する。やむなく現在の帝国ホテルの隣にあった鹿鳴館を貴族院、虎ノ門の工部(科)大学(現在の東大工学部の前身)を衆議院にしてその場をしのいだという。 2代目の議事堂は、同じ場所に和洋折衷の木造2階建の建物として半年の突貫工事で建築された。ところがこの議事堂は関東大震災では倒壊しなかったものの、大正14年(1925年)に今度は失火で消失してしまった。 そして3代目の議事堂はたった80日の突貫工事で完成している。この仮議事堂は霞ヶ関1丁目にある現在の経済産業省の場所にあり、その仮議事堂の門柱の頭部が憲政記念館の玄関前に置かれている。 ところがこの3代目の仮議事堂の建設に先立つ大正7年からすでに議事堂の建設計画が始まっていた。その設計は当時としては珍しく大正7年と9年の2回にわたり一般公募され、渡辺福三氏が当選し1万円の賞金を獲得している。 可能な限り国産品をするという基本方針に従って、大正9年1月に着工し、日本中の石材を使った議事堂が17年の歳月をかけて2・26事件の発した昭和11年(1936年)11月7日に「帝国議事堂」の竣工式が行われたのである。第70回帝国議会から使用され、敗戦と共に新憲法下の国会となって、現在に至るのである。向かって右側(北側)が参議院(貴族院)、左側(南側)が衆議院である。 敷地面積:103,001m2 建物面積:13,358m2(延):53,466m2 長さ(南北):206.36m 奥行(東西):88.63m 高さ(屋上地上3階、地価1階):20.91m 中央塔(9階建て):65.45m (中央部は65メートルと、建設された当時日本一高い建物であった。) 建設費:2,580万円 工事に従事した人員:延べ254万人 この議事堂の建設費25,800,000円というのは、現在の貨幣価値でどれぐらいになるのだろう。大正中期の大学卒の初任給が55円程という記録を基に、現在の大卒の初任給と比較してみた。
ところで国会議事堂の界隈を歩くと思わぬところから国会議事堂が姿を現しビックリすることがある。私たちが、テレビなどで一番よく目にする国会議事堂は正面から見る光景であろう。桜田門の警視庁の裏あたりが正面になるが、ここからは幾分遠い。そこで少しよって、国会正門前前の交差点の中央あたりから見る議事堂は、青い空に左右対称の御影石の建物が見事に映える。しかし、衆議院の背後には山王パークタワービルが、参議院の背後にはプレデンシャルタワービルが聳えていて、いささか無粋である。 そこでお勧めは衆議院の裏側、首相官邸側から見る議事堂である。正面から見るのと異なり議事堂が近く、普通目にする左右対称の国会議事堂とは異なる迫力のある議事堂が青空に吸い込まれるように見ることができる。特に太陽が南から照らす(いわゆる順光になる)午後に見るのがいい。これに対して国会議事堂はほぼ南北に建設されているため国会議事堂の正面は午前中が順光になる。従って、正面からは午前中に見るのをお勧めする。 しかし、夕暮れ時に警視庁の正面の桜田門あたりからお堀を隔ててみる夕日を背に受けた国会議事堂もなかなか風情があっていい。 夜になるとライトアップされており、見慣れた議事堂が闇夜に浮き上がり新鮮に見える。タクシーで桜田門から国会議事堂方面に走ると見慣れた国会議事堂が、とても新鮮であり感激する。また、霞ヶ関にある外務省の脇の坂を国会議事堂方面に出ると不意に現れるライトアップされた国会議事堂の思わぬ大きさにビックリさせられる。 以前永田町を散歩していたとき1993年3月に廃校になった自由民主党本部の向かいにある旧千代田区立永田町小学校の玄関先に、国会議事堂が描かれた校章を見たことがある。今年になって写真を撮りに行ったら全てのプレート類が取り外されていた。
この銀杏並木は平河町の246号線を渡った自由民主党本部の前から国会図書館と参議院の間を抜けて憲政記念館に至る通り、最高裁判所から民主党本部、国会図書館の前を抜けて国会議事堂の裏通りを首相官邸に至る通り、三宅坂の社会民主党本部から、憲政記念館の前を通り国会議事堂前の通りを抜けて霞ヶ関の外務省までの通り、さらに外務省と内閣法制局の間の財務省上交差点(首都高霞ヶ関出入口)から首相官邸に抜ける衆議院側の通りの街路樹が銀杏である。すなわち国会議事堂は四方が銀杏並木で埋まるのである。 霞ヶ関の外務省の脇の銀杏並木もみごとである。 日本の国政の中心地が晩秋(11月中旬)になると黄色い銀杏で埋まるということはあまり紹介されていないようであるが、麹町界隈を楽しむ者にとっては押さえておきたいポイントのひとつである。 最後に、麹町ウぉーカーの行動範囲内で銀杏並木等の見所を紹介しよう。 靖国神社 靖国神社の銀杏並木は晴れた日に行くのがいい。長く続く参道に一直線に並んで天を突き刺すように並んでいるのは見事である。この近くでは北の丸の武道館の前にある大きな銀杏の木が見事である。 迎賓館前のユリノキ JR四ツ谷駅と地下鉄丸の内線四ッ谷駅から迎賓館の正面ゲート向かう並木の街路樹はユリノキという木が植えられている。とても背の高い木で秋になるとこの大きな葉が黄色に染まる。また、並木の沿いにある四ツ谷中学校と学習院初等科との間にある「四谷見附公園」は麹町ウぉーカー51号で紹介した場所であるが、そこにある「旧御所トンネル」の由来にかかわる「われらの記念樹」と呼ばれる銀杏の木とプラタナスの大木も色づいて見事である。 皇居御幸通りの銀杏並木 外堀の和田倉交差点から内掘通りまでの御幸通りの200mほどの銀杏並木。右側に現在の天皇陛下のご結婚を記念して作られた噴水公園で、空が高くどこまでも広々とした皇居の正面玄関である。 東京駅丸の内中央口を出て徒歩3分・地下鉄大手町駅の真上にある。 明治神宮絵画館前の銀杏並木 明治神宮外苑絵画館(正式名称は聖徳記念館絵画館)前は秋になると雑誌やテレビなどで紹介される銀杏を都の木とする東京都を代表する場所である。 青山通り(国道246号線)から入ると白亜のドームをもつ絵画館が正面に見える。四列の大きな銀杏並木が続き、夜は絵画館がライトアップされとても綺麗である。 四ッ谷駅からであれば迎賓館から東宮御所の前を通り、明治記念館のある権田原交差点を抜けるとすぐである。歩いても行けるが、タクシーならJR四ッ谷駅(あるいは地下鉄丸の内線四ッ谷駅)からワンメーターで行ける。晩秋の週末に神宮外苑から青山、表参道に寄り道してみるのもいい。素敵な大人の週末が楽しめるであろう。 ====================================== この原稿を、ビルエヴァンスのピアノで「枯葉」のCDを聴きながら、編集しています。レポートの最後が「銀杏並木」・・・・・もう冬ですね。 国会議事堂の写真が掲載されているHPです。 http://www.sangiin.go.jp/japanese/guide/annai/1.htm H氏のHPも全面回復したようです。訪問してみてください。 http://homer.pro.tok2.com/index.htmlll メルマガの登録解除・バックナンバーはこちらへ |
平成16年11月7日配信