戻る 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)付録
今戸焼き招き猫の由来
嘉永5年(1852年)浅草花川戸の辺りに一匹の猫と暮らす老女がいた。 ところが年老いて稼ぐこともできず、生活もたちゆかずなり、知人の家を頼って寄宿させてもらい 余生を送ることになった。 ついては、猫を連れて行くこともままならず、泣く泣く猫を手放し一人でその家に赴いた。 その夜、老女の夢枕にその猫が現れてこういった。「我がかたちを作らしめて祀る時は、福徳自在ならしめん。」 夢から覚めた老女が早速夢の通りに猫の像を作り祀るとたちまち効験が現れ、方便(たつき)が見つかり、 また以前のように猫と一緒に暮らせるようになった。 これがうわさとなり、今猫の作り物を借りて祀れば願いがかなうと言いふらすものが現れ、 「今戸焼と称する泥塑の猫」を作らせて、これを貸し出すものが現れた。 借りたものは布団を作り、供物を供えて神仏のごとく崇拝し、心願成就の後は、金銀その他いろんなものを添えて かえすのである。猫像の「賃貸し屋」は浅草寺三社権現(現浅草神社)の傍らにあって大いに繁盛した。 |
2002年12月掲載
HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町