戻る 会津見て歩記
蒲生氏郷の墓
神明通りアーケードの脇に「蒲生氏郷公の墓」の案内が立っている。神明通りから筋を入ると「興徳寺」という臨済宗の寺にでる。鶴ヶ城の城郭の一番北に位置していた寺で現在の神明通りの中央あたりまでは城郭と堀であった。豊臣秀吉の奥州仕置きに際してはその中心地となった寺である。 狭い境内の正面には蒲生氏郷公の辞世の碑がありその右奥に氏郷公の遺髪が納められている五輪塔がある。その五輪塔はそれほど高いものではないが、上から「空、風、火、水、地」と彫られている。その脇の辞世の碑には「限りあらば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」と刻まれている。銀鯰の兜で知られ文武に秀でた有能な武将の無念の気持ちが表れている。 map |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
2005年7月17日撮影