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桧枝岐村「武田久吉メモリアルホール」
このホールの「武田久吉」先生は、日本山岳会の創立に関与して、植物研究のために日本中の山を訪ね、日本山岳会の創刊号に始めて尾瀬を紹介した。これにより尾瀬が一躍日本中に知られるようになった。そして大正11年の尾瀬貯水池化計画、昭和23年尾瀬ヶ原巨大ダム化計画に反対の意見を表明し、調査報告書を提出した。自然保護のシンボルとしての尾瀬の恩人である。ホールには先生の使っていた用具等全てが詳しく紹介されている。武田久吉先生は英国公使アーネスト・サトウの次男として生まれたことは、麹町ウぉーカー53号(日本山岳会と武田久吉)、42号(父アーネストサトウ)について紹介している。 |
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2004年8月1日撮影