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弘法大師が16の塚と西岸の材木岩からとった石で作ったところから十六橋という名前がついたという。 戊辰戦争の激戦地でありこの橋が石でできていたため橋を落とすのに手間取り、西軍の侵攻を阻止できなかった。白虎隊もこの少し西側で西軍と戦い、隊長とはぐれて飯盛山に敗走した。飯盛山の白虎隊記念館に行くとこの激戦の様子の絵がある。そこには弾を受けながら泳いでわたる薩摩藩士(後の陸軍大将)大岩巌が描かれている。 猪苗代から唯一自然に水の出る日橋川を堰き止めることにより、安積疎水ができ郡山の灌漑が整備され、郡山の原野の開拓が進んだ。その建設の功労者フランドール先生の銅像が立っている。その脇に建つ水門の管理事務所が優雅である。 |
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2003年8月2日撮影