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赤城山:黒檜山(くろびさん)
(1828m)
日本百名山40
2005年4月30日
9時45分:駒ヶ岳登山口前駐車場到着 9時57分:出発 10時06分:赤城神社入り口着 10時25分:赤城神社裏側出発 10時30分:黒檜山登山口 10時42分:大沼が一望できる場所に出る。 10時48分:猫岩 11時40分:小沼が見え始める。 11時55分:黒檜山と駒ヶ岳分岐 11時58分:黒檜山山頂 |
12時45分:黒檜山下山開始 12時50分:黒檜山大神 12時54分:黒檜山大神出発 12時56分:花見が原キャンプ場・駒ヶ岳 分岐・黒檜山分岐 1時34分:大タルミ 1時42分:駒ヶ岳到着 1時52分:駒ヶ岳発 2時02分:鉄製階段上の広場着 2時06分:下山開始 2時40分:駒ヶ岳登山口到着 |
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7時過ぎに埼玉の自宅を出て国道17号線を北上して9時45分に赤城山大沼と覚満淵の中間にある駒ヶ岳登山口前の駐車場(無料)についた。![]() 登山お安全を祈願して、本殿脇を裏側に抜けて、黒檜山登山口に向う。歩いて5分ほどで登山口に出る。 登山口の前には駐車場に数台の車が止まり、数名の登山者がいた。男女4名のパーティーの後に続いて、私たちも登り始める。 この赤城山の最高峰黒檜山に直登するこのルートは登山口から1.1キロと書かれており。標準的なマップによるルートタイムは登り1時間40分(下り1時間10分)とある。 ![]() このルートは最初からかなり急な岩場を登ることになる。赤城山の麓ではすでに新緑が始まっていたが、1376mほどの大沼湖畔はまだ緑の気配はなく、ミズナラの林は日差しが差し込みとても明るい。この登山道の岩場はとても急で見上げるとどこまでも岩場が続いている。 20分程歩くと突然、大沼を一望できる絶壁に出る。ここは正面にロープウエーの架かる地蔵岳やその下の赤城神社、大沼が一望できる。パノラマ写真 ここからしばらく右が切れ落ちた絶壁の端の岩尾根を歩くことになる。それから5分も登ると猫岩とかかれた標識がある。先ほどの大沼を一望できる場所からこの辺りが猫岩と呼ばれる場所のようである。猫岩とは山頂から西に延びる尾根を大沼湖畔から見ると、幾条ものヒゲのような筋のが猫の横顔に似たていることからこの名前があるといわれる。 ![]() ここから黒檜山まではほんの3分ほどのなだらかな狭い道であるが残雪が多く、たくさんの木々が覆いかぶさっていてとても歩きにくい。 山頂はそれほど広くはないが、一部に雪が残っていた。山頂は低い木々が視界を遮るものの、北側に百名山の皇海山(すかいさん)、日光白根山を望むことができた。南東に開けているものの、この日は天気はいいものの霞んでいて関東の山々を望むことは出来 ![]() 山頂でゆっくりと食事とコーヒーを楽しんで黒檜山の山頂を後に駒ヶ岳に向って下山を始めた。 下山というよりも平坦に歩いて4から5分ほどで黒檜山大神の鳥居と祠がある場所にでる。ここは南西に開けてとても日当たりがいい場所である。そしてそれから1かr2分で「花見が原キャンプ場・駒ヶ岳分岐・黒檜山分岐」に出る。12年前晩秋の家族で黒檜山に登ここで間違って直進してしまし、雪の中に迷ったことがある場所である。 今回はしっかりとこの分岐点を右に下る。駒ヶ岳は正面に見えているがところどころに多くの残雪が見える。 ![]() 駒ヶ岳までの間にはこれから木の階段が整備された急な坂を標高差200m、約20分程下り、一度小さな丘を登り返し、さらに下って約6分ほどで「大ダルミ」という場所にでる。 それからもう一つ小さな丘を越えると約5分程で小さ池のある場所に出る。それからひと登りすると駒ヶ岳山頂である。 黒檜山から駒ヶ岳までの間には小さな丘を二つ越える必要がある。この間の登りの登山道は残雪が多い、木々が倒れてとても歩きにくかった。 駒ヶ岳の山頂はとても狭い山頂で南東に向けて開けており、眼下にたくさんのピンクの木々が見られた。 ![]() そこを後に、下山道を進むと5分ほどで少し平らな開けた場所の先に金属製の階段が付けられた場所にである。ここで一休みしてこれから一気に急坂を下る。この急坂は半端ではないが要所容赦に金属製の階段が整備されており、それほど難しい道ではない。 途中で覚満淵が望める場所がある。この下山道は約35分程であるが、眼下に大沼の賑わいが見えのになかなか到着しないためとても苦しく感じる。そして覚満淵がひときは大きく見えてくると真下を走る車が見えるとすぐに登山口に到達する。 |
赤城山と日光戦場ヶ原、老神温泉の物語 赤城山は大昔、上野国(こうづけのくに:群馬県)の赤城山の神と下野国(しもつけのくに:群馬県)の日光二荒山(男体山)の神が領地争が起こり、赤城山の神は百足(ムカデ)に、二荒山の神は大蛇に化身して戦場ヶ原で戦いがおこなわれた。 戦いは一進一退したが、赤城山の神ムカデの優勢に推移した。そこに日光二荒山の助太刀である岩代の国の弓の名手小野猿丸の射た矢がムカデの目に当たり傷ついた百足が赤城山に退散した。その血で山が真っ赤に染まり『赤き山』と呼ばれるようになったという。 昔子供たちと一緒に見た「日本昔ばなし」では領地争いが水争いとされており、赤城の神の化身ムカデが中禅寺湖の水を分けてもらいに行き争いになり、矢が目に当たり苦し紛れに手をひと掻きして赤城山に飛んでいった水が大沼と小沼になったという物語であったと記憶している。 このムカデと大蛇の戦いがあった場所が「戦場ヶ原」、大百足の流した血がたまったのが「赤沼」、勝負が付いたのが「菖蒲ヶ浜」、勝利を祝ったのが「歌ヶ浜」と呼ばれるようになったと言われる。 退散に際して傷をおった赤城山の神様が赤城山の裏側にある片品川で、目に刺さった矢で岩を突き刺すと温泉が出た。その温泉で傷をたちどころに癒し、追ってきた二荒山の軍勢を追い返したことから「追神」と呼ばれ、その後「老神」と呼ばれるようになったといわれる。ここれが吹き割りの滝のそばにある老神温泉である。老神温泉では毎年5月に「大蛇まつり」が開催されている。 これが我が家の子供たちが小さい頃、四季を通じて通った日光と片品、尾瀬に向う車中で語った物語で、久しぶりに思い出して語りながらおりてきました。(2005.5.5子供の日に追加) |
赤城神社の社殿脇にあった縁起の要約 上野国に流されていた高野辺の左大将家成という公卿には、三人の娘と一人の息子がいた。息子は、都へ上り仕官していた。 家成の奥方が亡くなり、信濃から後妻を迎えた。三人の娘は、それぞれの乳母の元で成長。継母は、三人の娘を疎ましく思い、罪を許された家成が宣旨を受けて単身上洛するや娘達の殺害を計画し弟の更科次郎兼光をそそのかす。兼光は、まず姉姫である淵名姫を、淵に沈めて殺してしまう。次女の赤城姫は、赤城山に逃げ込み、赤城の沼の龍神に助けられ、その後を継いで、赤城大明神となる。末の伊香保姫は、伊香保太夫の居城に護られる。 事件を知った、大将家成は、慌てて戻り、淵名姫の無くなった淵で、神となった淵名姫と再会するが、その後、淵に入水してしまう。 都で出世していた家成の息子は、軍勢を率いて戻り、更科次郎兼光兼光を殺し、継母は捕らえるが、殺さずに、継母の出身地・信濃へ追放する。信濃へ戻った継母は、甥を頼るが、甥に捨てられ死んでしまう。この、叔母が死んだ山が姥捨山である。 |