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=========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)NO37========

永い正月休みもあっという間に終わりました。

おかげさまで、「麹町ウぉーカー」も2度目の正月を越すことができました。

愛読いただいている方々に感謝・感謝の気持ちで一杯です。

初心忘れず『麹町遊歩人』に徹することを、平河天満宮に誓いました。

さて今回H氏は、麹町ウぉーカー第二号で取り上げた紀尾井町に拘り「ホテルニュ−オ−タニ」そして創業者の大谷米太郎氏をテーマに取り上げました。                       

===============----===================  ホテルニューオオタニの写真

紀尾井町にある「ホテルニューオータニ」は一連の外務省事件の舞台となっているもののAPECのほか、東京サミットなどの国際会議の会場としても使用された格式が高い一流ホテルである。

しかし、このホテルは帝国ホテルのようにそれほどの歴史があるわけではなく、東京オリンピックを直前に控えた昭和39年9月1日に開業している。

ここは江戸時代、伊井彦根藩の屋敷があった場所であり、赤坂プリンスホテルの場所にあった紀州徳川藩、上智大学の場所にあった尾張徳川藩の屋敷があったところから「紀州」、「尾張」、「伊井彦根」の一文字ずつを取って「紀尾井町」となったことはよく知られておりすでに第2号で紹介した。

紀尾井坂を登った食違見附の前がホテルの正面玄関である。大きく鳥が翼を広げたような建物の上に丸い円盤のような展望レストランがニューオオタニのガスランプある。

2階部分になっている車寄せの前には各国の国旗が掲揚されこのホテルの格式が伺われる。紀尾井坂に面した入り口には四谷見附の橋にあるランプと同じような優雅なデザインのガスランプが毎夜、暖かい光を燈している。

その背後にはガーデンコートの高層タワービルがそびえる。

ホテルニューオオタニ正面ホテルの庭は四季の花が咲く大きな滝のある素晴らしい和風庭園である。

この日本庭園は公開されており、当然ホテルの中は入ることもできるが、

食違見附のお堀沿いにホテルの脇を進み、プールの脇の小道と、その先の焼肉レストランの裏側から錦鯉がおよぐ綺麗な池のある庭園に入ることができる。

都心に地形をうまく利用した大きな滝があることに驚かされる。

ところでこのホテルは昭和39年に開業したと紹介したが、創業者は大谷米太郎氏である。元伏見宮邸跡地が八幡製鉄(現在の新日鉄)に売却される寸前に、東京都から買うよう要請されて買い取り、オリンピックの宿泊施設不足から、ホテル建設の話が浮上し、各業界の協力のもとに1万坪を出資し、ホテルニュ−オ−タニが誕生したという。

ところがこの大谷氏ほど文字どおり裸一貫から身を起こして成功した人も珍しい。ホテルロビーの片隅エスカレーターを昇ったところにある大谷翁の銅像

大谷氏はは明治14年に富山の小作農家の長男に生まれ、弟妹が5人いた。

13歳から24歳までは百姓奉公と酒屋奉公、31歳のときに上京。

丁稚奉公を転々とした後、33歳で相撲界に飛び込み、十両まで昇進して引退。その後、酒店、古鉄商、鉄鋼屋に転身、ついに大谷製鋼所、大谷工業などのコンツェルンを築いたという立志伝中の人物である。

昭和43年死去。享年87歳。

大谷氏は日本画のコレクションでも有名でホテルのガーデンコート内にある美術館は大谷氏のコレクションを基に作られ美術館である。

大谷氏が寄贈した浅草浅草寺「宝蔵門」また、場所は異なるが浅草の浅草寺の前にある大きな宝蔵門は大谷米太郎氏の寄進によるものである。(先だって、浅草の七福神を歩いたとき門の前にプレートが立っていた)あれほどの建物を個人で寄進するのであるから、昔の財閥の財力はすごいものである。

さらに、大谷氏が元力士で終生日本相撲協会の最高顧問だった縁からか、二子山部屋の貴乃花、若乃花の祝勝会や結婚式などの会場としても使用されているそうである。

とはいえここには高級ブティックやジョン・ロバート・パワーズスクール東京校など話題には事欠かない魅力的な場所である。

特に後者はミスグランプリやミスユニバースなどを輩出しており、女性の表面的な美しさや教養を身につけるというよりも、女性が持つ可能性を最大限に引き出し、内面と外面を磨いて真の美しさへと導くという女性週刊誌等で取り上げられているアメリカで起こったいわゆるフィニッシングスクールである。

There is no such thing as such an unattractive woman,

only the woman who dose not know

how to make the most of herself.

(「魅力のない女性など一人もいません。ただ、自分の魅力をどう表現すればいいのか、その方法を知らないだけです。」というパワーズ氏のコメントがいいですね。)

作家の森村誠一氏は創業時にここに勤めており、小説「人間の証明」はこのホテルが舞台とされている。そして、ニューオオタニの丸い展望レストランを見ながら「お母さん、僕の帽子はどこに行ったのでしょうね」という呟きを背景に帽子がニューオオタニの壁に沿うように落ちていく様子が描かれていました。そして「ママ ドウ ユ リメンバー・・」という歌が思い出されますね。

 ところで一昨年、会社更生法適用の申請をした富山県の中堅ゼネコンのS工業に関する本を読んでいて面白い記述を見つけた。その中にニューオオタニ創業者大谷氏の記述があり、最後に「ニューオオタニの2代目の社長は、外務次官で旧ソ連大使、イタリア大使などを務めた門脇季光氏だった。」という記載があった。

ここあたりに、比較的歴史の浅いこのホテルがサミットなどの国際会議が開かれるような格式のあるホテルになり得たのかのポイントがあるように思えるが、いかがなものであろうか。

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正月、NHKの「新春寄席」に、麹町のお隣番町に住んでいる三遊亭圓歌師匠が出ていました。

演目は「中沢家の人々」(番町で同居している、圓歌師匠の家族の噺)です。

日テレや麹町に住んでいた昔の文豪の噺で、自分だけが盛り上がっていました。

さて、H氏のホームページも「伊奈町遊歩」で盛り上がっていますよ

http://homer.pro.tok2.com/

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