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甲府勤番風流日誌

11代甲府勤番

甲府勤番風流日誌」

山梨県といえば富士山と武田信玄、そしてブドウと思い描く方が多いと思う。しかし、ここ甲斐の国も好奇心旺盛なものにとっては興味の尽きない場所である。

江戸時代この甲斐の国が江戸幕府の直轄領(天領)になる最後の領主が柳沢吉保親子である。その柳沢吉保の家臣で有名な学者荻生徂徠がここを訪ねてそのときの様子を「峡中紀行」「風流使者記」として残した。

さらに甲州が幕府の天領になった後は甲府城に「甲府勤番」を置いて支配してきた。要するに幕府の転勤族である。この私も転勤族の一人であり言葉を代えれば甲府勤番には違いないのである。そこでこれをあわせて「甲府勤番風流日誌」として、縁あって住むことになった土地を誰より拘り、愛するという観点から現在の甲斐の国を訪ね歩いてみた。

富士山(3776)

山梨について書き始めるのにはこの富士山をおいて他にないであろう。ただ、この富士山について何から語り初めたらいいであろうか。日本人の誰もが知っており、誰もが憧れ、日本人の心の中にあり日本的価値観のあるべき姿として存在するものである。

人々が郷土のシンボルとなる山に富士山とつけては崇める。日本の中心にこれほど卓越した形で美しく、完璧なまでに左右対称な欠点の無い山が存在すること自体驚きである。私は「日本的」ということはある意味で「懐の深いあいまいさ」にあると思っている。ところがこの山には一点の曖昧さもない。それゆえ人が常に憧れ続ける完璧さの象徴としてこの山に憧れ崇めるのではないかと思っている。日本人の精神文化はこの富士山がなかったなら別のものになっていたのかもしれない。

歴史上多くの人がこの山にこだわりをもち向かい合ってはその存在と懐の深さに返り討ちになってきた。深田久弥氏はその著書「日本百名山」の中で富士山を「偉大なる通俗」と評している。「あまりに曲がりがないので、あの俗物め!と小天才たちは口惜しがる。結局はその偉大な通俗に甲を脱がざるを得ないのである。小細工を労しない大きな単純である。それは万人向きである。何人をも拒否しない。また何人もその真諦(シンタイ)をつかみあぐんでいる。」とある。私も今、この富士山に飲み込まれ始めている。

静岡県の沼津市や富士市から見る富士山はさえぎるものがまったく無い。私はここから富士山を見上げると少し照れてしまう。完璧なまでに美しい大和撫子 (決してギリシャ神話に出てくる豊満なビーナスやアフロディーテではない)が薄衣一つまとうことなく裸体を晒しているようでならないのである。そういえば、「美の黄金比率」を持つといわれる「ミロのビーナス」も下半身に衣をまとっているがゆえに裸体が誰もが崇め得る崇高な美の極致となっていると思うのであるがいかがなものであろうか。

ただ西伊豆から見る富士山は手前に海岸線があり少し隠されるところがあり海越しに見える富士山は美しく、銭湯の壁に描かれるもっとも有名な構図といえよう。

山梨県側からは、富士吉田市の三つ峠から見る富士山が美しさにおいて比するものは無いであろう。私たちは日頃、山は仰ぎ見るものであり、特に富士山はいろんな意味において仰ぎ見る存在である。ところがここから見る富士山は見下ろすという感覚である。人は高みから見下ろすときに一種独特の感激を持ってみる。日本一の富士が自分の眼下にある。完璧なまでのシンメトリーに言葉を失う。

あえてここまで登ることはない。甲府の盆地から河口湖に向かう御坂峠を越えトンネルを抜け最初のカーブを右折したところに現れる富士山はこれに代わるものであろう。

何度この峠を越えてもこのカーブを曲がるときには「今日の富士はどのような美しい姿を見せてくれるか」胸がどきどきする。

私はこの富士山の美しさは甲府市の北西にある明野町のすそ野から見るのがころあいとして美しいと思う。このあたりは標高が7〜800メートルほどあり富士山から幾分遠いこともあり富士山が目線の高さに見える。さらに甲府の盆地と富士山麓を隔てている御坂山系の山並みが日本を東西に分けるフォッサマグナ(中央構造線)上にある富士川に落ち込むため、富士山が右のすそ野から東側に向けて薄衣をまとっているように見える。ここからは適当な距離と高さから富士山がその大きさゆえに威圧感のある存在としてではなく目の前に微笑んだ優しい山として我々を見つめてくれる。その大きさが決して大きすぎもせず又小さすぎもしない。絶妙のバランスであろう。

ただ、拘りをもって富士山を見つづけると、これもあくまで富士山を見るポイントの一つに過ぎないことを悟らされる。南巨摩郡増穂の山麓から見る富士山は高い塀越しに巨人が覗き見ているようでくっきり輝く雪をいただいた山頂が美しく、大菩薩稜にある柳沢峠からみる富士山は雲海に浮かぶ遥かな富士である。

富士山のすそ野から見る四季折々のそれは幾多の写真集であるような言葉であらわせない、日本人好みの美しさを見せてくれる。したがって、富士山を前にしてどこから見るのが一番美しいかという論議は不遜であると気づかされる。富士をめでるのはそれが見えるすべてのポイントが最高の場所ということは認めざるを得ない。

やはり、最初に戻るが富士山は存在するがゆえに日本人の美の極致であり、日本人の価値観の根本にあることを自覚させられる。
三つ峠から見る富士山のパノラマ写真2枚の写真を合成してみました。

【2010年10月13日追加】
櫻井(桜井)孝美氏に描く富士山

山梨を離れて10年がたつが、20101012日(火)さいたま市JR大宮駅西口にあるそごうデパートで久しぶりに素晴らしい山梨と遭遇することができた。

7階にある画廊の催事会場に行くと埼玉県鴻巣市出身で富士吉田市在住の画家櫻井孝美氏の油絵展が開催されていた。

催事場に入ると「富嶽風神雷神」という右に荒々しい富士山に風神、左には雪を頂いた富士山に雷神が描かれた二曲一双屏風が立ち、中には富士山の絵を中心にバラやベニスの風景画など約30点の油絵が展示されていた。いずれの絵も太陽は赤か金で描かれ、どこまでもエネルギッシュで凛とした富士山の美しさが描かれていた。

特に、奥にあった右に真上に黄金に輝く太陽の昼間の富士山と左に暗がりの中でに聳える富士の上に凛と輝く満月が描かれた「富嶽光陰」という二曲双屏風には何故か引き込まれてしまった。

 

山梨に住んでいた時、氏の絵について多くを知ることはなかったが、ただ一度だけ山梨で氏の名前と絵を見たことがあった。

甲府勤番として初めて迎えた200011日の山梨日日新聞正月版の第一面に掲載されていた(かなり前のことではっきりした記憶ではないが・・)、台形にデフォルメされた紺色の富士山の真上に黄金の太陽と真っ赤な日差しが四方を照らすという真に強烈な印象の一枚だった。

会場にいたスタッフに「山梨に転勤で住んでいたい2000年の正月の山梨日日新聞のトップで赤と金色の強烈な太陽と富士山の絵を拝見したことがある。とても強烈な印象で今でも鮮明に覚えている。」という話をする間違いなく新聞に掲載されたことがあるということで、思わぬ縁にとても喜んでいただいた。

そして光栄なことに「何かの縁でしょう。」といって展示されている絵のポストカードを頂いた。家に帰りそのカードを見ながらこれを書いているが、どの絵もとてもパワフルな生命感に満ちた絵である。

富士山は日本人であればだれもが憧れる山で深田久弥氏はその著書「日本百名山」の中で富士山を「偉大なる通俗」と評している。「あまりに曲がりがないので、あの俗物め!と小天才たちは口惜しがる。結局はその偉大な通俗に甲を脱がざるを得ないのである。小細工を労しない大きな単純である。それは万人向きである。何人をも拒否しない。また何人もその真諦(シンタイ)をつかみあぐんでいる。」とある。あまたの芸術家、詩人、文学者、カメラマンが富士山の真諦を見極めるべくチャレンジしている。

櫻井氏も富士山のあまりの偉大さに10年ほど描くことができなかったというが、奥様の里である富士吉田に住むことにより描くことができるようになったと言われている。

櫻井孝美氏の描く、赤と金で描かれた太陽と躍動的で生命感に満ちた独自の富士山は見る人々に大いなるパワーをさずける、山梨の誇れる富士山の一つであるといっていいであろう。

そごう大宮店では平成221012日から18日まで7階催事場で開催された。

山梨の山 

わが国における天文文学の祖とも言うべき野尻抱影が明治40年、甲府尋常中学校の英語教師として5年間教鞭をとっている。

その間彼は南アルプスの変化を観察したという。彼の記録の中に「甲斐にあらば請う、山岳を誇れ 山岳を誇らば請う、甲斐が根を誇れ、甲斐が根を措いて何処に甲斐の威厳あろうや。」と書いている。私はこれを甲府市にある県立文学館で初めて読んだとき「まさにその通り、蓋(ケダ)し当然である。」とうなずいてしまった。

甲府盆地の中央部からは日本一高い山と2番目に高い山を同時に見ることができる。南アルプス白根三山の北岳(3192)がそれである。その前にそびえる鳳凰三山の南側の少し低くなった夜叉神峠の後ろに控えめに頭を覗かせている。その南隣には間ノ岳(アイノダケ3189)、農鳥岳(3026)続く。その前にそびえる南から薬師岳(2780)、観音岳(2840)、地蔵岳の鳳凰山(ホウオウザン)。なかでも一番北の少し低い地蔵岳のオベリスク(岩が飛び出して立っている)が目をひく。少し目を北に向けると鋭く三角錐の威容を誇る甲斐駒ケ岳(2966)、それからなだらかなすそ野をいただいて突然そびえたつ八が岳 (2899)赤岳、さらに目を北に向けると一見すると八ヶ岳に見間違えそうな茅が岳(1704「にせ八」ともいう)がある。茅が岳は日本百名山を書いた深田久弥氏が亡くなった山である。

これだけの山を一望できる贅沢な場所は日本中捜しても他にないであろう。山梨県が「山の都」を標榜することがうなずける。

山梨に来て初めて登った夜叉人峠から見た南アルプス、そして感激した瑞牆山(ミズガキヤマ)など山梨の山の魅力について書き始めるとあまりに紙幅が足りない。甲斐という言葉自体が山国を意味する。四季を完全な形で直近に映し出す周りの山々の魅力については別の機会に書くことにする。ただ、山梨にあって甲斐駒ケ岳は富士山に次いでこだわるべき存在であることはここに予告しておく。