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四谷荒木町

車力町のシンボル このような階段の路地が多い町である
津の守を祀った神社 策の池
策の池の弁財天 策の池の主意書(下に詳細を記載しました。)

策(さく)の池
この辺りは遠く「むさし野」昔から豊富な湧水が池となり起伏に富んだ丘には老樹が蒼あおと聳え清空に舞い遊ぶ野鳥さえずりを聞き四季の草花色とりどり咲き香りそののどかさと自然の美しさを誇っていました。江戸時代の古書「紫の一本(ひともと)」に寄れば徳川家康が「タカ狩」の時近くにあった井戸水で策を洗ったので策の井戸と呼び澄んだこのこの水が高さ四米にも及ぶ滝となりこの池でその池にそそいでいたので策の池と呼ばれ「十二社の滝」目黒不動の滝」、「王子名主の滝」等と並ぶ江戸八井に一つとして庶民に愛されました。
天明三年(
1683年)美濃国高須藩藩主松平摂津守がこの隣地を拝領したので庶民から遠のきましたが、約約百八十年後の明治五年(1772年)時の政府による廃藩置縣の発令でこの地が開放され仝七年荒木町として住民の町となりました。人々は藩主の名を慕い「津の守」と呼んで居間まで愛称されています。現在では湧水も減って池も埋まりこの滝つぼ跡に昔の語り草をわずかに残しています。
古来池のほとりに会った弁天祠を昭和三十一年栄敬者によって現在地に遷座再建し庶民の守り神としてお祭りし御加護を受けています。
昭和五十二年二月 荒木町町会


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