戻る=======麹町ウぉーカーNO5========
今日は防災の日。 敢えて、江戸の大火のひとつ、麹町が発焼(生?)の地と言われている、「振袖火事」をテーマにお届けします。 「麹町ウぉーカーNO5」を発信も、関東大震災が発生した、同日同時刻 午前11時58分に拘ってみました。 ======================= 振袖火事(明暦の大火)と麹町5丁目 私のオフィスは、麹町5丁目にそびえているミレニアムガーデン。 ただ江戸時代の麹町は、今の麹町と異なり、半蔵門の1丁目から始まり13丁目程まであって、11丁目からは四谷見附を越えて新宿区まで及んでいたようである。 当時の麹町5丁目(現在の5丁目より幾分皇居よりであろうと思われる。)はあの「明暦の大火」の火元のひとつであるとされている。 つまり私のオフィスの足元付近から出火・・・・・・? 「明暦の大火」は1657年(明暦3年)1月18日から20日の火事であり、 18日に本郷丸山本名寺から出火したのが鎮火しかけた翌19日に小石川伝通院と麹町5丁目から、再度出火して一説では死者10万人以上、江戸城の本丸から江戸の町のほとんどを焼くというわが国の火災史上最悪の火事となった。 この大火は別名を「振袖火事」という。 この云われは麻布にあった遠州屋という大棚の娘が寺小姓に恋をして(懸想してというべきか)恋に焦がれて死んでしまうのがことの始まり。 不憫に思った両親がその形見の振袖を菩提寺に収めたのであるが、寺の坊主が持ち出して古着屋に売り飛ばしてしまう。 この振袖を着た娘たちが次々と病死する。これを供養しようと、振袖を本郷丸山本名寺で燃やすや否や強風にあおられて天に舞い上がり、その火が江戸中を焼き尽くすのである。 恋患いで死んでしまうという、今では考えられないようなことが原因なのかどうかは別として、火事と実らぬ恋の同じような話は、「八百屋お七」として残っている。 天和二年(1682)暮、火事で焼け出された八百屋の娘お七は身を寄せた駒込の寺小姓に恋をしてしまう。店が再建され家に戻ったお七は寺小姓に対する思いが募り、ため息の毎日。 そこで思いついたのが、もう一度火事になり焼け出されたら、あの寺小姓にまた会えると思い火をつける。当時放火は大罪である。髪を乱し着物を乱しながら火のみ櫓に登り、愛しい男のいる駒込方向を見て半鐘をたたく哀れなお七の姿が描かれた浮世絵をご存知の方も多いと思う。 お七17歳であった(浮世絵は幾分年増に描かれている)。 「恋に焦がれてなくセミよりも なかぬ蛍が身を焦がす」というところか。 ====================== 読者の方から「この前の紀尾井町由来の話。ベリーグッド!!飲み屋の御姉ちゃん達相手に話したら、“ものしりおじさん〜!”と場が盛り上がった。」 嬉しいような、チョット照れくさいような。 私達も盛り上がりた〜い!!これが本音です。(by H氏&編集者) ところで、昼間麹町に居られる諸氏はご存知でしょうか? 万が一の災害のとき、何処に逃れればいいのか。 チョット参考に次のHPをご覧ください。 http://www.comp.co.jp/chiyojc/jigyou97/kitaku04.html 防災の日にちなんでの、案内です。 |
お詫び 明暦の大火の西暦が間違っており2003.12.2読者のご指摘により訂正させていただきました。
この場を借りてお詫びするとともにご指摘して頂いたS様に心より感謝申し上げます。