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<<<<<<< 麹町ウぉ-カーNO4 >>>>>>>>

夏休み、H氏は鹿児島へ、編集担当者は北海道へ。

「麹町ウぉ-カー」は、全国北から南まで制覇したということでしょうか?

現在、このメルマガを読んでくださっている読者の方は123名です。

多いのか少ないのかこんなものなのか、わかりませんが、

多くの方に読んでいただきたいという、ちょっと熱い思いで書いています。

もしよければ、「麹町ウぉ-カー」をご友人・ご家族の方にご紹介ください。

これからも張り切って書きます!

残暑厳しい・・・でも猛暑の一時期より過ごし易くなりました。

「夏の終わりのハーモニー」という名曲(私だけ?)がありましたが、今回は「夏の終わりの皿屋敷」をお届けします。

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番町皿屋敷

一昔前までは「番町」と聞くと間違いなく「皿屋敷」と連想したと思う。

麹町に勤めて番町皿屋敷が何番町になるのか歩いてみよう。

 

JR市ヶ谷駅に下りる帯坂は皿屋敷のヒロイン「お菊」が青山主善に追われて髪を振り乱し、帯を引きずりながら逃げていったという言い伝えがある。

しかし、一番町にあったという「青山主善」の屋敷跡は見当たらない。

そして、この番町皿屋敷の話は今ひとつ筋がわからない。

この話は史実ではなく伝説なのである。

この話を記録した最も古いものは江戸時代の「江戸砂子」である。

 

「牛込御門の内。昔物語に云、下女あやまって皿を一つ井戸に落とす、そのトガにより殺害せられたり、その念此所の井に残り、夜ごとにかの女の声をして、一つより九つまで十をいはで泣き叫ぶ、声のみありてかたちなしと也、よって皿屋敷とよびつたえたり。」

 

ただこれには牛込御門の内とあるのみで「番町」という町の名前は出てこない。

牛込御門というと今の飯田橋辺りで番町ではない。

ただ、飯田橋のあたりは江戸時代の地図を見ると「土手四番町」という記述があるところから番町と呼ばれていたことは間違いないようである。

 

ところで江戸時代の「皿屋敷」というとしてよく知られているのは、浄瑠璃「播州皿屋敷」である。

播州姫路でお家乗っ取りをたくらむ青山鉄山一味は家臣の妻お菊に聞かれた。

そこでお菊が殿様から預かっていた皿の1枚を隠し責任を負わせて殺害し、井戸に投げ込んだ。

そののちお菊が化けて出て青山一味を懲らしめるという浄瑠璃である。

 

これに対して大正時代の劇作家で「半七捕り物帖」で有名な岡本綺堂の「番町皿屋敷」はどちらかというとラブストーリーである。

主人の青山主善と恋仲にあったお菊は、身分が障害になっていた。

そこへ主善に縁談が持ち込まれ、お菊は自分に対する愛情を試そうと主善が大切にしていた家宝の皿をわざと割る。

それを聞いた主善、一度は許すのだが、お菊がわざと割るところを見ていたという家臣の言葉に、「そんなに俺を信じられないか!!」と激怒して、お菊を刀にかける。

それ以来主善は人がかわり、青山の家がつぶれていく。

という話であり幽霊は出てこない。なんとも哀れな男と女の話である。

 

「播州(ばんしゅう)」が「番町(ばんちょう)」と似ているのは何か関連性があると思えるが今回はそれ以上のことはわからなかった。

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「播州」と「番町」・・・・・関連あるのかなあ?

知っている方がいらっしゃれば、メールで返信ください。

 

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