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=========麹町ウぉーカー(麹町遊歩人)NO38========

気象庁の今冬の予報が、暖冬から例年並の寒さに下方修正されました。

景気の下方修正には慣れてしまいましたが、気温の下方修正はすぐに体調にこたえます。懐だけではなく体感的にも寒い日が続くようになりました。

H氏は、こんな寒さも何のその!

市ヶ谷方面「東郷元帥記念公園」の取材を行いました・・・・・・が、この取材の後、インフルエンザでダウンしてしまいました。今年のインフルエンザは強烈だそうです。

読者の皆さんも、お気をつけください。

======================================  東郷記念公園の写真

東郷通りと二七通りが交差するところが東郷公園(裏側の入り口のプレートには「東郷元帥記念公園」とあります)である。

この公園上段部は、日露戦争の日本海海戦(1904年)で無敵と恐れられたロシアバルチック艦隊を全滅させ、東洋のネルソンとまで東郷公園の中央にあるライオンの像讃えられた連合艦隊司令長官「東郷平八郎元帥」の屋敷であった。

元帥は明治14年から昭和9年88歳で亡くなるまでここで暮らしていたが、無造作にて立てかけられている石作りの大きな井戸枠を除いては園内に屋敷跡を感じさせるものはほとんどない。それでも玄関脇にあったといわれる元帥の心酔者である大分の別府某が寄贈したライオンの石像が公園の中央に静かに体を横たえている。

現在は近隣の人々の憩いの場として親しまれており、桜の名所の多い千代田区において隠れた桜の名所となっている。

公園の奥には東郷公園の碑の脇に、昔の若者が力自慢に持ち上げたとされる楕円形の力石が置かれている。これは関東地方の広く残されており、近辺では平河神宮も有り、大きなものとしては湯島天神の本殿の脇にもある。ただ、ここの力石には213キロ以上もあると書かれているが、実際はその半分ほどの目方であるという。平川天満宮の力石にはこれを持ち上げたとされる3名の若者の名前も彫られている。東郷公園の力石(57貫目約213キロと書かれている)

 

東郷元帥は現在の鹿児島県鹿児島市加治屋町で1848年1月27日に生まれた。

15歳のときに生麦事件がきっかけとなった薩英戦争に従軍する。そして戊辰戦争では、砲術士官として薩摩の軍艦春日に乗船し榎本武揚の率いる反政府軍との函館戦争にも参戦し、明治政府の海軍で活躍することになる。

そして日露戦争においては旅順港を封鎖し、1905年5月28日の日本海海戦で戦艦「三笠」から指揮をとり、ロシア艦隊に対してT字を描くように戦列を展開し、決定的な勝利により実質的に日露戦争を終了させた。元帥は国民的な英雄であり、国際的にも著名な人物であり、近代日本の指揮官として、おそらく最も偉大な提督であろうといわれている。
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」という三笠から東郷平八郎が大本営に打った電文が有名である。

テレビのクイズ番組で、バルト海で睨みを利かせていたロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で打ち破り、これが結果的に1917年のフィンランド独立に貢献したことから「フィンランド独立運動の恩人」として東郷元帥が慕われ、その顔をラベルに印刷した「トーゴービール」が今でも販売されているといと紹介されていた。

しかし、探してみたがどうもその話は間違いのようである。確かに、東郷元帥の提督の肖像をラベルにしたビールがフィンランドに存在したのは事実である。しかし,それは「東郷ビール」ではなく「提督(Amiraali)ビール」という、世界各国の提督の肖像がラベルになったビールのシリーズで、その中には他に山本五十六提督も入っているとことであった。残念ながらそのビールは現在製造されていないとのことである。

その他に麹町ウぉーカーが拾った東郷元帥に関するエピソードを紹介しよう。

一つは麹町ウぉーカーの勤める会社で京都支店に務めた方から聞いた話であるが、「肉じゃが」は東郷元帥が舞鶴に勤務していたときイギリスに留学したときに食べたビーフシチューをワインがなかったため醤油とサトウで日本風にアレンジしてできたという話を聞いた(ただしこれに対しては呉支店に勤務した者からは呉市が発祥の地であるといっていたが・・)。

さらに、以前、さいたま市の荒川公園でバードウオッチングをしていた時に野鳥の会の人から聞いた話である。日本海海戦時の東郷司令官の姿は三笠の艦橋で胸に双眼鏡を掛けた姿で描かれているが、あの双眼鏡は司令官の愛用したドイツのカール・ツァイス社製の双眼鏡であるという。現在ではゴルフで距離を測る単眼鏡を使う方も多いので光学機器の「Victory」というブランドを見たことがある方もいると思うが、あれがカール・ツァイスのブランドである。

最後に東郷元帥の生まれた鹿児島市の加治屋町は西郷隆盛、大久保利通、山本権兵衛 大山巌、西郷従道など明治の偉人を多く輩出した地であることだけを紹介しておく。

平成18年2月4日加筆(薩摩出身の業界団体の記念号として麹町ウぉーカー特別版を作成し、その中の一部を紹介します。)

渋谷の東郷神社について(渋谷区神宮前1-5-3)MAP

東京都渋谷区渋谷は東郷元帥の祖先の地といわれている。遡ること12世紀、今の渋谷一帯は相模国の豪族・渋谷氏が所領していた。ゆえに渋谷と呼ばれるようになったと伝えられる。ところがこの渋谷氏は、源頼朝が鎌倉幕府を開いたのち、源平合戦での功により、はるか薩摩の地に領地を得て、一族を挙げて、現在の薩摩川内市あたりに移住する。

薩摩に根付いた渋谷氏は後に5つの家に分かれ渋谷五族となる。土地の名をとって、それぞれ高城氏、東郷氏、入来院氏、祁答院氏、鶴田氏を名乗った。このうちの東郷氏から700年後に出たのが、東郷平八郎である。

そこで東京都渋谷は東郷元帥のルーツの地であり、没後、祖先の地に神社が建てられた(昭和12年9月に地鎮祭、昭和15年5月27日(海軍記念日)に御鎮座祭)。
それが縁で渋谷で鹿児島の「おはら祭り」が開催されています。

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日露戦争と言えば、「坂の上の雲」司馬遼太郎著が浮かびます。

東郷平八郎の参謀として日本海海戦の作戦を練った秋山真之が登場します。

「本日天候晴朗なれど波高し」の電文を起案した人物です。

暖かくなったら、ここ「東郷元帥記念公園」で読み始めるのも一興では・・・・・・。

(私は何度か読み始めましたが、中途で挫折しています。)

 

さてこの「東郷元帥記念公園」の地図はH氏のホームページでお確かめください。

http://homer.pro.tok2.com/

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(大)


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