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=============麹町ウぉーカーNO34===========

明日は鷲神社の酉の市(三の酉)です。十二月、師走間近。

そして朝の通勤、寒くて最寄りの駅までが辛い季節です。

ラッシュでもいいから、早く暖房の入った電車に乗りたくなってしまいます。

暖かい電車に乗るとほっとしますね。

たまに座席に座ることが出来ると、思わず朝からコックリしてしまいます。

私は、通勤に有楽町線を使っていますが、気持ち良さそうに温い電車の中を満喫している方が随分いますよ。

ところでこの有楽町線、有事の際を想定して、作られたと言う話を聞きました。

「核シェルターになる」というのが、一番多いようです。

有楽町線は地下深くに作ってあり、沿線に自衛隊練馬駐屯地(平和台)、元東京拘置所「巣鴨プリズン」のサンシャインシティ(東池袋)、防衛庁・自衛隊市ヶ谷駐屯地(市ヶ谷)、日本テレビ(麹町)、自民党・国会議事堂・警視庁等の政府・国家重要機関(永田町・桜田門)朝日新聞社(新富町)などのマスコミ・政府機関があることからこう言われているそうです。

とくに、沿線にある自衛隊朝霞駐屯地(和光市・朝霞)→自衛隊練馬駐屯地(平和台)→防衛庁および自衛隊市ヶ谷駐屯地(市ヶ谷)→国会議事堂・総理府・総務庁・首相官邸(危機管理室)等の政府・国家重要機関(永田町・桜田門)といった、政府および防衛庁関連の施設の近くを通っているため、緊急事態の人員輸送の為に建設したのではないかという噂もあります。

そんな噂を確かめに(?)、H氏は防衛庁見学に出かけました。    (大)

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市ヶ谷台防衛庁ツアー(平成19年1月9日に防衛省に昇格しました。) 防衛庁の写真 防衛庁に着陸するヘリ2007.8.10日追加)

防衛庁(新宿区市谷本村町5-1)の最寄の駅はJR市ヶ谷駅なのであろうがJR四ッ谷駅から歩いても5分ほどで着く。防衛庁の全景

「市ヶ谷台ツアー」と呼ばれる防衛庁見学コースは事前に申し込みをしておかなくてはならない(03-3268-3111内線21904・・内線ナンバーが長い!!)

正門に10時までに来るように言われていた。

入り口は他の官庁と異なり物々しい警戒で、通常の警備員に加えて迷彩戦闘服を着用し、自動小銃を持った自隊員が4名立っていた。そんな中でデパートのエレベーターガールのような制服を着たツアースタッフがにこやかな笑顔で迎えてくれた。

私はバスで来ていた20人ほどの団体に混じって参加した。

免許証で身分確認が行われ、立入り証を首からぶらさげるようにと渡された。女性のスタッフに混じって年配の男性職員が流暢な話し振りでこの市谷台の歴史を話していた。

江戸幕府が開かれて大名が江戸に住み始めたとき、奥州の雄、伊達正宗公がこの場所を望んだが家康公は正宗公を恐れてここを与えず、また正宗公に遠慮して長く空き地にしていた。そして正宗公も亡くなった第4代将軍家綱公の時代、以前紹介した振袖火事といわれる明暦の大火の後、大名屋敷を城外に移し、

甲州街道口の要衝市谷台は御三家の一つ尾張徳川家第2代光友公が5万坪を拝領したという。

明治維新後、紀州徳川家から返上され、明治7年(1874年)京都兵学校の寮が移され、昭和12(1937)陸軍士官学校本部となり昭和16(1941)が大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部となった。

終戦とともに昭和20(1945)8月米軍に接収され翌年5月から極東軍事裁判所(東京裁判)として使われ、昭和34年に返還された。

そして、昭和35(1960)から陸上自衛隊東部方面総監部・陸海空自衛隊幹部学校となり平成12年5月に六本木(檜町地区)にあった防衛庁がここに移転された。

 

正面玄関から庁舎が建つ敷地はビル4階相当分の高低差があるため屋根のついたエスカレーターで昇っていく。

庁舎はA棟からE棟まであり、エスカレーターを昇った正面には庁舎D棟(防衛施設庁・契約本部・技術研究本部等)がある。庁舎A棟を中心に左から通信アンテナの立つ庁舎B棟(通信局舎)、そして庁舎C棟(情報本部)、A棟の隣がD棟、E棟(内部部局や各支援業務隊)と建っている。

メインのA棟は大臣室や統合幕僚会議事務局など防衛の中枢であり、地上19階地下4階、屋上には都内最大規模の屋上ヘリポートが2基ある。最上部が航空自衛隊で最下部が陸上自衛隊である。中間に内局統幕、海自が入っており、やはり陸自は地に足をつけ、空自はより空に近く、海自は宙ぶらりんということなのであろうか。

 またその前は「儀じょう広場」と呼ばれ、内外の高官や国賓等が防衛庁を公式訪問された時に、儀じょう隊が整列して迎える場所である。

広い儀じょう広場の中央に3本の国旗掲揚のポールが立っておりその中央に日の丸が半旗になっていた。この日は911日、丁度1年前ニューヨークのワールドトレードセンタービルにテロリストのハイジャックした旅客機が激突した同時多発テロの日だったからである。通信棟

ところでこの半旗であるが一度ポールの頂上まで上げてそして、国旗の幅の分下げるのが作法であるという。

さらに外国の軍隊の高官が来庁した際は向って右側に日の丸を、左側に相手国の国旗を揚げるのだという。国連の代表が来る際は中央に国連旗を揚げるとも聞いた。

 

一番奥の庁舎B棟は全体が巨大な通信塔で地上高220メートルもある。この巨大なアンテナはビルの上に建てられているのではなく、この建物自体からアンテナの基礎構造になっているという。

  

通信棟を過ぎると、何度か写真等で見たことのある白い建物が見えて来た。
この白い建物はもともと、現在の庁舎A棟があった場所に建っていた建物である。市ヶ谷記念館

昭和12年に旧陸軍士官学校本部1号館として建設され、昭和20年に米軍に接収され翌年の5月にあの極東国際軍事裁判(東京裁判)の舞台となった。米軍から返還後、昭和35年からは陸上自衛隊東部方面総監部および陸上・海上・航空自衛隊幹部学校などとして使用されてきた。そして19701125日、三島由紀夫が割腹自殺したのもこの建物である。この「市ヶ谷記念館」の中についはは次号で紹介する。

記念館を見学した後は続いて、事務棟の裏側にある厚生棟という売店やレストランがある建物に向かった。敷地内には隊舎もあり、この中で起居している職員もいる。ちなみに防衛庁の全敷地面積は約24ヘクタールで東京ドーム5個分に相当するらしい。約1万の職員売店の軍服や軍刀が働いているという。

ここで休憩を兼ねた自由時間となり、売店で防衛庁ならではの軍刀や軍服などマニュアックなグッズを購入出来る。厚生棟は、武力集団としての緊張感がある防衛庁の中で唯一リラックスできる場所であり、凛々しい制服に階級章、各部隊のエンブレムをつけた隊員も我らと変わりない生活者の顔を見せている。そして、楽しい約1時間45分のツアーは瞬く間に終了した。

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自衛隊は大きな災害時にも出動します。

今年は「三の酉」まであります。大火事など大災害など無い事を祈りたいですね。

酉の市が開かれる鷲神社HPです

http://www.otorisama.or.jp/mokuji.html

H氏のHPにも市ヶ谷台防衛庁ツアーの様子がアップされています。

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