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===========麹町ウぉーカー
NO29==============

この時期毎年こんなに暑かったでしょうか?

昔の記録をパラパラ捲ってみると、1999年9月5日に東京では34度を越える猛暑でした。

すっかり忘れていました。猛暑再来ですね。(ちなみにその前の年19998年9月5日東京の最高気温は27.0度でした。)

猛暑は数年間隔にやって来るようです。

この原因を地球温暖化の影響と考えている方も多いようです。

先日も、南極で東京都の数倍の面積がある氷山が溶け出すというニュースを観ました。想像を越える出来事です。

私の中で、氷の世界南極と言えば、南極観測船「宗谷」の砕氷しながら進む姿とか、越冬した樺太犬「タロー・ジロー」の姿です。

H氏は、この麹町で「タロー」を発見したようです。        (大)

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一番町の南極物語「望郷のタロー像」      写真集へはこちらから

番町と麹町を隔てる英国大使館裏から麹町4丁目の日テレ通りに抜ける通りは、麹町台地で一番低い谷筋の通りになっている。

その通りの一番町8番と5番の間を南北に上る坂が「南法眼坂」である。

江戸時代この側に斉藤法眼という者の屋敷があったところからこの名前があるという。

このあたりはEUの代表部やバチカン大使館等もあり、

大きなお屋敷や住宅が多い番町らしい風情のある場所である。

この坂を登り、さらに北に向かって下るとそこに「行人坂」がある。

その先が日露戦争のとき帝国連合艦隊を率いてロシアのバルチック艦隊を加藤顕清作「望郷のタロー」

破った東郷平八郎元帥の屋敷(現在は「東郷公園」になっている)があった

ところで「東郷坂」とよばれている。

南法眼坂と行人坂との間の一番町22番地1に「一番町セントラルビルディング」といいう建物があり、一階はこの辺りでは珍しくカフェテラス(ラフォーレ)になっている。

このビルの入り口には、何故か悲しげで、何かに向かってつき走るかのように黒々とした毛を風に揺らす15m程もある大きな犬の像がおかれ、足元には

「芸術院会員加藤顕清」、「望郷のタロー」と書かれたプレートがはめ込まれている。

はじめてこの像を見たとき「望郷のタロー」とあるところから、第1次南極越冬隊に参加して昭和33年2月に悪天候のため収容できずに置いてきぼりになりながら1年間生き延びたあの樺太犬であろうと思っていた。

しかし、何故ここにタローの像があるのだろうという疑問を抱えつつ日が過ぎていた。

ところが、今年夏、NHKの「プロジェクトX」の特別番組の中に写っていた北海道稚内市にある樺太犬訓練場所跡に建てられた犬の像は、

このビルの入り口に置かれた像と同じであった。

調べてみるとテレビに写っていた犬の像は日本の最北端、稚内市の稚内公園に昭和35年に建てられた「樺太建訓練記念碑」であった。

さらにこの像は加藤顕清氏の作であり、同年に日本に帰ることなく南極基地で死亡し剥製になった「ジロー」をモデルとしたものであった。

しかし、何故このタローの像がここに有るのかという疑問は解けず、このビルを訪ねて管理人さんにでも聞こうとしたが短い昼休みでは果たせなかった。一番町セントラルビルディング

ところが827日の夜遅く、このビルにある法律事務所から一通のファックスが転送されてきた。そこには以下のように書かれていた。

「昭和30年から40年にかけて南極観測隊に対して当時北海道炭鉱汽船株式会社が支援をしていた。その後、カラフト犬タロー、ジローの事件が発生し、

北海道出身の彫刻家加藤顕清氏が何体かを作り、関係者に寄贈された。

その中の一体を当時の社長原功一氏(原ビルの社長の父)が入手したものである。」     

この「一番町ビルディング」は原ビルディング鰍フ所有であり上記のように

社長の関係で置かれるようになったのだという。
(このビルはなかなかお洒落なビルで和風の庭園があり、1階の奥にはテナントの従業員用の喫煙、リフレッシュの為の部屋とオープンテラスがある)。
リフレッシュスペース

この情報はこのビル1階に事務所を置く弁護士さんが会議の前に
このビルの社長に電話を入れて調べていただいたものである。


この事務所が金曜日の午後8時から放映されているフジテレビの人気番組
「ザ、ジャッジ」の中でいつも明快な法律的な回答をしてくれている
ダンディーな弁護士さん達が居られる「一番町総合法律事務所」である。

 

ところで稚内公園で訓練を受けた犬は22頭であった。

そのうち15頭が南極に鎖につながれたまま残された。

その翌年観測隊が基地につくとタローとジローの兄弟が現れ、日本中いや世界中の話題をさらったのである。タローとジローはその後、南極で過ごし、ジローは昭和357月南極で死亡。

タローは翌年6年ぶりに帰国した。そして北海道大学植物園で飼われ、昭和45815歳で死亡した(人間では90才ほどである)。タロー像

遥かなる祖国日本を想いながら多くの仲間の死を見取り、生きるために南極の大地を走りぬけたであろうと思うと、一番町にあるタローの顔が何故か悲しげに見える意味が理解できるような気がする。

最後にこの南極観測に参加した22頭の名前を紹介しておく。映画「南極物語」を見た方なら耳にした名前であろう。

トム、リキ、テツ、デリー、アカ、ビップのクマ、ベス、ベック、クロ、風連のクマ、紋別のクマ、ジャック、ポチ、シロ、ゴロ、アンコ、モク、深川のモク、タロー、ジロー、ミネ、シロ子、(タロー、ジローの弟サブローは訓練所で死亡)

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夏山を歩いてきました。

暑さのせいで、疲労度が倍です。暑さだけじゃなく運動不足のせいかも・・・・・。

低山とは言え、頂上を吹き抜ける風は「爽快」の一言。

薄いいわし雲は、秋間近を告げていました。

 タロー。ジローの履歴書です。(H氏より)

http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kagakukan/taro.htm

 

H氏のHP827日に皇居の上を覆った虹の写真がアップされています。

 

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