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===========麹町ウぉーカーNO11=============

二回連続でお届けした、「麹町と赤穂浪士」いかがでしたか。

今週の金曜日、正に12月14日です。金曜ロードショー(麹町日本テレビ)「忠臣蔵・四十七人の刺客」が放映されます。

麹町に住んでいた「吉田忠左衛門」どのように演出されているのか、楽しみです。

キリシタン燈篭の竿の部分(確かに隠れキリシタンの物と思えば思えなくもない)

さて、寒い日が続いています。

北国では大雪です。

そして・・・・・・クリスマスがやってきます。

今回は、麹町の隣、番町のキリシタン燈篭の話題をお届けします。

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二七不動尊とキリシタン燈篭 (二七不動尊は平成17年4月の火災で全焼いたしました。)

九段の靖国神社から市谷の駅に至る靖国通りのひとつ番町よりの通りを「二七通り」と呼ばれている。

それはその中ほど東郷公園の向かいにある「二七不動尊」(九段南4‐2)に由来するようである。二七不動尊

「二七不動尊」は、蕎麦屋の脇の狭い路地をくぐるように入ると正面に本堂がある。

いかにも住宅街の中の建物であり、となりの建物と接していて境内と呼ぶには窮屈な敷地に建っている。

住宅街ひっそりと立つこの不動尊はしっかりと敷き詰められた敷石にはいつも打ち水が打たれ外がどんなに暑いときでも凛としたし静けさと涼しさがある。

この境内には多くの石の仏様が置かれているが境内の右隅に2体だけ他の仏様とは明らかに様相の異なる燈篭(?)がある。

70センチほどの細い石の柱にイエスキリストや、その使徒たちそしてマリア様のような姿が彫られている。

これが「切支丹(キリシタン)燈篭」と呼ばれるものである。

本来はキリスト教が禁止された江戸時代に仏像などの姿に擬してマリア様などを彫り

それを隠れキリシタンとして信仰したものではないかと言われている。

この灯篭は番町のさるお屋敷を改修したときに出てきた物で、供養のためにここに移されたのだという。

これが将軍のお膝元である番町の旗本屋敷から出てきたというのが面白い。

明治維新において官軍と呼ばれた西南諸藩の人たちによって接収された屋敷に

「織部燈篭」として持ち込まれたのではないかとも言われているが定かではない。

「織部」というのは戦国武将の「古田織部」にちなむもので伝統にとらわれない斬新なものという意味に理解していただければいいであろう。

現在でも「織部焼」として有名であり、表面に即興的な絵を施した奇妙にゆがんだ

茶碗や向付は、現在の我々の目で見てもそのデザインの斬新さには驚かされる。このような仏像もたくさんある見事です。

当時の日本人の価値観をどれほど一変させてしまったかは想像に難くない。

番町には二七不動尊の二つ麹町よりの通り(日本テレビの市谷よりの筋)に

ローマ法王庁大使館がある。クリスマスを前に番町に伝わるキリシタンに関する話を拾ってみました。

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クリスマスに向けて盛り上がるのは、マスコミとケーキ屋さんと若い人たちばかり。

おじさんたちは、年賀状の印刷でてんてこ舞いです。

早く来い来いお正月〜♪

H氏はホームページのバージョンアップに挑んでいますが・・・・・・・・。

ご覧ください。


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