戻る========麹町ウぉーカー付録============

今回は、NO10号「赤穂浪士と忠臣蔵」の付録としてH氏による「仮名手本忠臣蔵」

(超要訳版)をお届けします。

=============================

超要訳 仮名手本忠臣蔵

 (これは誤解を承知であえて超訳を試みたものである。)

 

時は鎌倉鎌倉時代、鶴岡八幡宮が造営され将軍の名代として京から足利直義が下向する。

これを鎌倉の執事高師直(こうのもろなお)と御馳走役として

桃井若狭助(ももいわかさのすけ)と塩冶判官(えんやはんがん)が迎えた。

敵将新田義貞の兜を八幡宮に奉納するかどうかをめぐって高師直と若狭助が争いとなり高師直は若狭助を侮辱する。

義貞の兜を鑑定するために判官の妻顔世(かおよ)御膳が召しだされる。

かねてより美貌の顔世に横恋慕していた高師直は、これを幸いと口説きにかかる。

 

ところで若狭助は八幡宮で受けた恥辱をはらすべく高師直を討つ決意を家老の加古川本蔵に語る。これに対して本蔵は主君の性格を悟り同調した振りをするが

その一方で高師直が登城する途中を待ち受けて、賄賂(わいろ)を贈り若狭助に対する善処を願う。

これを受けて高師直はにわかに態度を変え若狭助を厚遇する。

一方、判官の妻顔世は夫の仕事に支障があってはならないと、口説く高師直に断りの文を届ける事をためらっていた。

が、顔世の腰元お軽は、文を届ける事を口実に恋仲にあった判官の付き人早野勘平に会いたい一心で、顔世を説得。

高師直に断りの文(和歌)を届ける。

高師直はこの文を見て激怒し、判官に当り散らし、口汚くののしり辱める。

こらえかねた判官は城中松の廊下で高師直に切りつけるが加古川本蔵に抱きとめられ浅手を負わせるにとどまる。

殿中での刃傷は大罪、判官は即刻閉門となり罪人として帰される。

そして判官は切腹を命じられる。

 

これに対して文を届けた腰元のお軽と勘平はそのようなこととは知らず、

逢瀬を楽しんでいた。

殿中での事件を知った勘平はその場で切腹しようとするがお軽にとめられお軽の実家に駆け落ちする。

国家老の大星由良助は主君の遺志を受けて復讐を決意するが、

対立する家臣たちを収め平穏のうちに城を明け渡す。

 

幕は変わって、勘平はお軽と所帯を持ちお軽の実家に身を寄せ猟師をしていた。

ある時かつての同僚と会い密かに敵討ちの計画が進められていることを知り、

軍資金の調達を約束する。

一方、お軽の父親は婿の勘平を再び侍にして出世させようと願い金策に歩くが

うまくいかず、万策尽きてお軽を祇園の廓(くるわ)に身売りさせる。

身売りの半金50両を懐に帰る途中、山賊になっていた斧定九郎(おのさだくろう)に惨殺され金を奪われてしまう。

偶然この山中で狩をしていた勘平はイノシシを狙って鉄砲を撃つが、

それが定九郎にあたってしまう。

暗がりのため定九郎とは分からず、それが誰かを確かめぬまま、手に触れた縞の財布を手に入れ、約束の金としてかつての同僚に届けるのである。

お軽をつれに来た廓の主人の話を聞き縞の財布を見た勘平は昨夜誤って

殺した男は舅であるお軽の父親であると思い込んでしまう。

さらに討ち入りの仲間が訪ねてきてこの事情を知るや不義の金と勘平を責め、

詰め腹を切らせる。

ところが、そこに運ばれてきた舅の死骸の傷口を見ると鉄砲傷ではなく刀傷であり、すべてが誤解であり、それより舅(しゅうと)の敵を討ったことがわかる。

そして敵(かたき)討ちの同士の連判状に血判を押し、

勘平は義士の仲間に加えられ絶命するのである。

 

一方、大星由良助は祇園の一力茶屋で放蕩の日々を続けている。

高師直の間者(=スパイ)となっているかつての家老斧九太夫(おのきゅうだゆう)

祇園に来て由良助の本心を探っていた。

判官の命日の前日だというのに魚を食べたり

錆びた刀を差しているのを見て敵討ちの意志は失せていると確信する。

ところがそこに由良助の長男力弥が塩治判官の妻顔世の密書を持って

祇園を尋ねてくる。

疑いをいだく九太夫は縁の下に忍び様子をうかがっていた。

由良助が顔世の手紙を読もうとすると棟違いの2階座敷にいたお軽が鏡に写して読み、

また、下に垂らした手紙は縁の下にいた九太夫も読みひそかにあだ討ちを計画している由良助の本心を知る。

ところがこのとき2階にいたお軽がかんざしを落とし、その音でお軽に気づかれたことを知り、由良助はお軽を身請けして殺そうと考える。

お軽の兄、足軽の寺岡平右衛門はお軽から手紙の内容を聞き

由良助が突然、身受けの話を持ち出した本心を知り、

お軽を自ら殺して、あだ討ちの仲間に加えてもらおうとする。

お軽は父と愛する勘平が死んだことを知り悲観のあまり自害しようとする。

妹に手をかけようとする平右衛門の忠誠心を確認した由良助は帰参を許し、

同士に加え、お軽には床下に潜むスパイである九太夫を刀で突かせて

亡き夫勘平に代わって功を立てさせる。

 

その頃、東(あずま)から加古川本蔵の妻と娘小浪(こなみ)が、

許婚である大星由良助の息子力弥のいる雪の山科を目指して旅を続ける。

山科に辿り着くものの、由良助の妻お石は松の廊下で小浪の父加古川本蔵が止めたため、高師直を討ち果たすことができなかったとの思いから、息子力弥との祝言を許さない。

もし許してほしければ、「父本蔵の首を差し出せ」と迫る。

そこに虚無僧姿の本蔵が現れ、わざと力弥の槍に刺され、引出物に高師直の屋敷の絵図面を渡して娘の幸せを祈って死んでゆく。

 

場面は変わり(歌舞伎では上演されていないようである)、

鎌倉の侠気の回船問屋天河屋義平は大星由良助から討ち入りのための武器の調達を依頼され駆けずり回っていた。

秘密が漏れるのを恐れて奉公人には暇を出し、妻のお園は実家に帰していた。

由良助は義平の忠誠心を試すため、町役人に変装して押し込み、義平を詰問するが「天河屋義平は男でござる。」と啖呵を切る。

由良助は義平の侠気と忠誠心に感じ入り

討ち入りの合言葉を「天」と「河」とすることを決め、

本懐を遂げた後は妻お園とよりを戻し幸せに暮らすように告げて去る。

 

そして雪の降り積もる夜中、火事装束に身を包んだ47人の義士たちは由良助の打つ山鹿流陣太鼓の音と共に高師直の館に討ち入った。

寝込みを襲われた高家の侍たちを討ち果たし、炭小屋に隠れていた高師直を討ち首級を上げて本懐を遂げ、涙に咽びながら雄叫びを上げる。

その首級に亡き主君塩冶判官の位牌を手向け、そして勘平の身代わりとして

縞の財布に焼香させ、桃井若狭助の勧めに従い亡き主君判官の

菩提寺光明寺へと引き上げていく。

 

この物語は史実と大きく異なるが、男と女、忠義と不義、そして色と金がダイナミックに絡み合ったフィクションであるということはお分かりであろう。

それにしてもドキドキするぐらい面白い展開である。

しかし、登場人物は明らかに赤穂事件の義士たちを題材としていることは

一目瞭然である。

蛇足を承知で紹介するならば、「大星由良助」は当然、「大石内蔵助」。

塩冶判官」は「浅野匠頭」、「高師直」が「吉良上野介」、「早野勘平」は父親が仕官の口を見つけてきたばかりに忠義と人情の間で切腹して果てた「草野三平」、「斧九太夫」は赤穂城明渡が決まったとき逃げ出した家老で不忠義のシンボルとされている「大野九郎兵衛」

(不忠義のシンボルとは・・・・・・編集担当者は納得しておりません!)

「お軽」は大石内蔵助が山科時代に妻の「りく」を離縁した後にめかけに迎え子供まで作った18歳の女性が「お軽」(加留)である。

加古川本蔵が松の廊下で匠之守を止める梶川与惣兵衛であることは想像に難くない。

 

さらに足軽でお軽の兄、「寺岡平右衛門」は、討ち入りの後いずこともなく姿を消したといわれる謎の「寺坂吉右衛門」でしょうね。

元禄15年2月21日、江戸に下り、吉田忠左衛門に従い、同志の間の連絡などにあたり、また続々と下ってくる同志たちの世話をした。従って、吉田忠左衛門に使えて麹町6丁目に住んでいたに違いない。

ただ、彼は、討ち入りの後に姿を消し、切腹はしていない。そして83歳まで生きている。現在泉岳寺にある彼の墓は慶応時代に建てられたものであると伝えられている。彼が何故に姿を消したか諸説あるがこれを推測することもなかなか面白い。

================================

面白いと言うか、呆れてしまうというか、すごい展開にびっくりです。

物語を書いていて、筆が止まらなくなったと言う感じでしょうか。

忠臣蔵は知っているけど仮名手本忠臣蔵となると・・・・・・・。

編集担当の私もあまり詳しくは知りませんでした。

こんな私を助けてくれたHP紹介します。

http://homepage2.nifty.com/Mitleid/toganakute.htm

 

皆さんからの、感想お待ちしています。


HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県坊津町