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旧熱塩加納村、旧山都町、旧高郷村

(この三町村と熱塩加納村は平成18年1月4日に喜多方市と合併して喜多方市になりました。)

旧熱塩加納村(平成18年1月4日に喜多方市と合併して喜多方市になりました。)

熱塩加納村は会津盆地の一番北にあり南は喜多方市、北は山形県米沢市と隣接していおり、県境の大峠トンネルが整備され米沢へも30分ほどで行ける。初夏の野山には可憐なピンクのヒメサユリが咲き乱れる小さな村である。特に宮川地区の館山にはヒメサユリが群生している。ヒメサユリ

歴史的には幕末の会津松平家に至る会津支配の礎はここから始まったといえる。鎌倉幕府が成立した頃、佐原十郎義連が源頼朝から会津一円を賜りここに居を構えたといわれ、その墓が残されている。ちなみに佐原氏が葦名氏の祖であり、それから20代近くに渡って盛隆を極めたが、1589年、米沢から攻めて来た「独眼流伊達政宗」により滅ぼされるのである。

熱塩温泉の看板を入るとこのあたりでは比較的大きな温泉旅館がありこの前の道を数百メートル進むと行き当たりになり「示現寺」がある。初めて訪れたのは平成9年末会津地方に初雪が降った翌日であった。30センチほどの雪を掻き分けて見上げる大きな山門と本堂はこれほど山奥にしては立派過ぎる異様を誇っていた。その境内に瓜生岩子刀自(トジ)の墓がある。彼女は明治時代この村で生まれ東京において福祉活動に尽力された女性である。「刀自」という老齢の婦人に対する敬称は和歌山の山林王の老女を誘拐する「大誘拐」という映画で使われていたので知ってはいたが、実際の使用は始めてみた。

旧山都町(平成18年1月4日に喜多方市と合併して喜多方市になりました。)

会津盆地の北西に位置し飯豊連峰の懐にある町である。喜多方の町から車で20分ほどで着く。この町の蕎麦は「山都ソバ」と呼ばれるが特に「宮古地区のソバ」が有名である。山都の街中から車で15分ほど山の中に入ると宮古という戸数10数軒ほどの集落がある。この宮古でとれる蕎麦を使い、食べるその日に粉を挽いて食べるときに打って季節の山菜とともに出してくれる。ここの蕎麦は独特で普通の感覚で食べると戸惑ってしまう。会津の蕎麦は比較的腰のあるものが多く、ここの蕎麦もその例に漏れないが、その透明感はまるでコンニャクの様であり、蕎麦のにおいがまったくしない独特のものである。

私が妻と初めてここの蕎麦を食べに来たときに、一緒になった秋田からこられた男性の反応が面白かった。この男性はよほどの蕎麦通らしく、ひとしきり薀蓄を述べた後ご主人にまず水蕎麦を所望した。明らかに挑戦である。運ばれた水蕎麦を一気にすすりながら口に運ぶと、一時腕組みをして黙り込んでしまった。そして「わからん!わからん!」と唸るだけで頭をひねっている。ご主人が「どうです。」と言うと「蕎麦の匂いがしないし、今まで食べたどの蕎麦とも違う」と言って黙り込んでしまった。それを見ていたご主人が勝利の笑みを浮かべながら「蕎麦は挽いてから時間がたつと匂いがするが、引いた直後は匂いがしない。」といって暗に「あなたが今まで食べてきた蕎麦は挽き立てではない。」といっている。

そして飯豊山の水とここでとれた蕎麦だからこのような蕎麦ができると言っていた。私たち夫婦はこのやり取りをはらはらしながら見つめ宮古の蕎麦の虜になった。

ところでこの飯豊山は昔から女人禁制の信仰の山として知られ、会津の男子は13、4歳になると白装束に杖を持って登ったという。私たちもこの山に登ることを企画したがついにその機会を得なかった。この山はアプローチが長く日帰りが困難であり、どうしても山小屋に一泊する必要があったからである。夏でも雪渓が残りそのそばに高山植物が咲き乱れるお花畑があるという。この飯豊山の山岳信仰については山都町の編集した資料に詳しく書かれている。

旧高郷村(平成18年1月4日に喜多方市と合併して喜多方市になりました。)

阿賀川が大きく蛇行する新潟県に近い村である。ここは阿賀川に露出している地層からクジラやダイカイギュウ等の化石が出る場所である。このあたりの岩は緑っぽい色をしている。阿賀川の流れが大きく蛇行しており発電所が作られ、流れがほとんど止まったようになる。そこには直線が1000mもある国体の行われた「荻野漕艇場」がある。

我が家とこの村とのかかわりは子供達と共にここの温泉に出かけたときである。温泉に至る山道を走っていると長男が「この山にはアケビがなっているよ。」というので車を止めると子供達はナイフを持って太いアケビツルのからまった木に登っていきすぐに10個以上のアケビを採って来た。すると長男が車の後ろからスコップを持ち出して藪の中に入っていった。数分歩いていると「自然薯を見つけた。」といって掘り始めた。子供達は数年前に私達の恒例の霞ヶ浦キャンプ(テントではなく仲間と家を借りて数日過ごす。)で東京都武蔵野市役所に勤める料理の上手い仲間から自然薯の見つけ方、掘り方を教えてもらい、自然薯を自分で見つけて掘ったことがあるのですぐに見つけられたのである。

それでも粘土に悪戦苦闘しながら1時間で2本の自然薯を掘って帰った。とはいえ何本かに折れてしまったがすりおろした天然の自然薯はヤマトイモにはない粘りでこくのある美味しいものだった。ちなみに温泉には入らずじまいであった。



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