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北塩原村

北塩原村

この村は、西は喜多方市から大塩温泉を抜けて桧原湖に入る磐梯山の裏側の村である。村の北側は山形県米沢市に隣接しており有料道路「西吾妻スカイバレー」を越えると天元台スキー場のある米沢の奥座敷「白布温泉」に出る。

磐梯山

磐梯山は明治21年の大噴火により現在の形になった。4つの村と400人以上の人の命を奪った。この噴火が日本赤十字社が戦争以外で初めて民生で出動した事件だったという。

五色沼猪苗代から見る磐梯山は緑の多い雄大な山であるが、裏側の北塩原村桧原湖畔から見る磐梯山はその中央部がごっそりと吹き飛ばされ、赤茶けた地表をむき出しており爆発のものすごさを物語り、まったく別の山にみえる。この噴火により川がせき止められ桧原湖、小野川湖、秋元湖、曽原湖などができた。

裏磐梯は磐梯山麓に五色沼があり約1時間ほどのトレッキングを楽しむことができる。遊覧船でにぎわう五色沼の西口にある柳沼から入るとほとんど下りのルートで楽である。瑠璃沼はエメラルドグリーンの湖水が美しく東口にある毘沙門沼が一番大きく不思議な輝きを見せてくれる。

桧原湖

桧原湖は磐梯山の噴火によりできた一番大きな湖である。遊覧船が静かに行き交う側をモーターボートが爆音を立てながら我が物顔に走り回るどこにでもある観光地である。南岸には磐梯山の噴火や四季について紹介した資料館やシアターがある。冬は凍結して公魚(ワカサギ)釣りが楽しめるが、このところ暖冬で凍結しない冬がある。

「ママキャンプ場」は事情により削除させていただきます。

その他裏磐梯のいい話をいくつか。

その一つは自生する「ホップ」である。会津に転勤してきた平成9年9月に、会社の仲間と5年間毎年9月の第2土日に奥軽井沢で実施している「クレソンキャンプ」を裏磐梯で開いたのである。年代も幼児から60代まで30人以上も参加する恒例のキャンプを終えて、我が家は南下して会津若松に帰らずに桧原湖を一回りするために北に道をとった。桧原湖の北岸の西側にある桧原地区の川を渡ったところで妻が「止まって。あれホップじゃないの!」というので車を止めるとそれは白い親指ほどの何かの実のようにも見えるものであった。私たちは本物のホップを見たことはなく、ビールのコマーシャルでホップを見たことがあるのみでそれほど自信はなかった。しかし、桧原湖の東岸にある曽原湖の北岸のペンションビレッジにある「バンディアハーブガーデン」のスタッフがホップに間違いないと教えてくれた。このホップは「からはなそう」というものらしい。完全な自生なのかどうかはわからないが、会津とホップは歴史的に深い関係があった。会津の喜多方地区は大手のビール会社との間でホップ生産供給の30(40年だったかもしれない)年契約を結びホップ生産組合を作り生産してきた。しかし、安い海外ホップの供給が軌道に乗り国内生産の必要性がなくなりついに平成10年に組合が解散するという新聞記事が小さく載っていた。

自生のホップのことは会津の一部のお茶やお花をする人たちには知られていたようであるが、一般にはあまり知られていなかった。妻が近所の仲間に教えたことで多くの人たちも知るところとなり、裏磐梯のみでなく私達が住んでいた飯盛山や会津の山河にはいたるところで見ることができることに気づいた。

曽原湖から小野川湖に向かうと途中に「パン工房ささき亭」がある。焼きたてのパンにコーヒーを磐梯山を見ながら楽しむことができる。いつもお客が並び焼きたてのパンが飛ぶように売れる。会津地区では都会的なセンスのパンを食べさせてくれるお店である。

桧原湖から猪苗代に向かう三叉路は剣が峰という場所である。この交差点の角にレストラン「モントレー」がある。ここのハンバーグステーキの味は絶妙であり、長男真之介の誕生日に訪れたとき子供達が思わず「このデミグラスソース美味いね。」と口にした。それをオーナーに話すと何日も時間をかけてソースを作っていることをうれしそうに話してくれた。そしてご飯のお代わりを出してくれた。

人形の家

このレストランの前の道を渡り少し路地を入るととがった屋根を持つ煉瓦造りの「人形の家」という喫茶店があった(これで正しい)。中に入ると粘土で作られたフランス人形が並べられていた。奥様と話をしていると裏庭ではご主人が焼き物の教室もやっているという話を聞き、工房を見せていただいた。裏庭に回るなり私と真之介が顔を見合わせた。芝生の裏庭がそのまま裏磐梯の沼に続いているのである。ご主人からこの家を手放すという話を聞いて長男が「この家買えたらいいね。」と私に話しかけてきた。驚いたことに私も同じことを考えていた。「お父さんも同じことを思っていた。うちにぴったりだ。」と話すとニコニコしていた。つくづく親子だなと感じた。ここのご夫妻は50代にサラリーマンをやめてここにやってきて今の仕事を始めた。ところが70代になると裏磐梯の冬を越すのが大変になってきたため、ここを手放して中通(福島県では福島市、郡山市等の県の中央部をこのように呼ぶ)にある塙町に新しい工房を開くのだという。

私達夫婦はリタイヤした後、裏磐梯の湖畔での生活を考えていた。ところが裏磐梯での生活は若いうちでないと大変らしい。夢と現実との大きなギャップを思い知らされた。

食事をした後、飛込みではあったがご夫妻がいろんな話を聞かせていただき有意義なひと時を過ごすことができた。


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