西会津町、柳津町、三島町
西会津町 この町は会津の一番西にあり高速磐越自動車道の新潟県との県境にある町である。この町は会津三コロリ観音の一つ鳥追観音と大山祗神社で有名である 鳥追観音は西会津の中心地である野沢地区から国道49号線を横断して南に向かう山の途中にある。弘法大師と僧徳一が建立したと伝えられる。仁王門を入るとどっしりとした高い床の本堂の重々しい屋根と軒下の組木が見事である。西方浄土を表現した南向きで東に入り口、西には出口があり参拝後は西方の極楽へ導かれるという。これだけ山深い地において権力者たちが造った華やかな寺社に負けない庶民信仰の力強さを感じさせる見事なものである。 鳥追観音を過ぎて車で5分も進むと山道の終点に至る。そこにはお土産物屋が軒を連ねここを訪れる人が多いことを物語っている。ただ大山祗神社はここから山道を1時間30分ほど歩いた山の上にある。 私が妻と初めて訪れたのは参道の脇にアケビの実がなっておりそれを二人で採って食べたので10月の中旬であったと思う。途中には観音様があり夫婦、親子の愛情、自然に対する畏敬などほほえましい笑顔に満ちた石の観音様が置かれている。そして滝を過ぎたあたりから杉並木の中に苔むした石の階段がありそれから樹齢が百年を越した杉の並木が続く。会津の中でもこれほど荘厳な雰囲気を持った森はほかにないのではないかと思う。大山祗神社は大きな二本の杉にはさまれた本殿が建っている。本殿より一段下がった広場には2階建ての宿が建っており多くの人がここを訪れ宿泊するのであろう。 ここは1100年もの歴史を誇り、一生に一度はどのような願いもかなえてくれるという。それを教えてくれたおばあちゃんは「なじょな願いも聞きなさる。」と言っていた。 ところでこの大山祗神社の参道にはいたるところに新潟県の信者による寄進が多い。会津の人たちよりも明らかに新潟の人たちの寄進が多い。小さな観音様から先ほど書いた杉並の石段も寄進によるものである。6月になると西会津の中心地である野沢地区の街中にはのぼりが町中に立ち、大山祗神社の大祭があることを告げている。その昔西会津の町を流れている阿賀川(新潟県にはいると阿賀野川と呼ばれる。)は越後と会津の物流の中心であった。そのようなことがこの大山祗神社に県外の信者が多いことの理由があるのであろうか。 柳津町 この町は只見川沿いにある「福満虚空蔵尊円蔵寺」を中心とする街で最も会津らしい風情を持った町である。私たちが始めて訪れた日に1200年法要が行われていた。只見川の絶壁の上に建てられた円蔵寺はその荘厳さにおいて会津のどの寺に比するべくもなく、会津の赤べこのルーツとも言うべき歴史を持った寺である。
円蔵寺の向かいの只見川には大きな二つの橋が架かりそこから見る円蔵寺は四季折々に訪れる人の目を楽しませてくれる。春は円蔵寺を包み込む桜の花が、秋は紅葉が只見川に映える。その橋の下には天然記念物に指定されているウグイが集まる渕があり、竹下夢路が「宵待ち草」を起草した場所と言われている。 ただ私はここの冬が好きである。流れの止まった只見川の黒い水面に向かいの山の真っ白な雪が映し出される。墨絵の世界である。そこに落ちずにかろうじて残っている柿の朱色が添えられると雪深い奥会津の原風景そのものがあり、版画家「齋藤清」の世界がそこにある。会津では柿の木の一番上にある柿を冬を越す鳥のために残すのだという。それを「布施柿」ということをこの町の老人から聞いた。会津らしい話である。 円蔵寺の見える只見川の向かいにこの会津を愛し会津の四季を描いた斎藤清画伯の美術館がある。彼は晩年この柳津に住み平成10年にこの地でなくなった。この美術館には彼の海外での創作活動時代のものや日本中の自然を描いたものそしてこの会津の自然を描いたものが豊富に展示されている。画伯の版画はなんと言っても会津の四季を描いた晩年のシリーズがすばらしい。雪の景色を描いた作品を見ると先ほど述べたようにそこには会津の原風景とも呼べる世界が描かれている。会津を訪れたらぜひ訪ねてほしい場所である。 この柳津は粟饅頭で有名であり、円蔵寺の門前には多くの饅頭屋が並んでいる。その中でも岩井屋の饅頭の餡子はどこのものとも異なる独特の深みのある味である。ただサービスの良さという点では小池屋であろう。どこでもお茶を出し漬物をいただきながら饅頭を食べることができるが、ここはふかしたての饅頭をせいろから気前良くサービスしてくれる。何より店の人達の笑顔がいい。
三島町 この町は柳津の隣にある只見川沿いにある町である。 この町に入ると「奥会津桐の町」という看板が目にはいてくる。ただ、この町は全国に先駆けて町おこしを推進した町であり、桐や陶芸の工房があること、美坂高原のハーブ園があること等は知っていた。何時かは訪ねてみたいと思いつつ冬の間毎週のように金山町にスキーに行くため通過してはいたのだが、ついに訪ねることはできなかった。
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